名を『聲塵』(しょうじん)という。
弘法大師の著書『声字実相義』の中にある「五大にみな響きあり、十界に言語を具す、六塵ことごとく文字 なり、法身はこれ実相なり」という文言。
人間の認識するもの「色・声・香・味・触・法」(六境ともいう)があり、その認識機関としての「眼・耳・鼻・舌・身・意」がある。
まぁ「法」と「意」は結果というか、トータルであって、前の5つがその具体的なもの。
色=視覚、声=聴覚、香=嗅覚、味=味覚、触=触覚、法=思考・意識、ということ。
弘法大師・空海さんは「六塵悉文字(ろくじんしつもんじ)」と仰る。
宇宙の真理そのものである法身(ほっしん)大日如来は、全てのことを文字というメッセージで説法しておられる。
体験、体感こそが密教であるけれど・・・
弘法大師様は・・・法は言葉で言い表すことができないが、我々は言葉に依ってしかそれを理解できない。真如は形あるものではないが、形を見てそれを悟る。と仰っている。
先輩諸師が「音声(おんじょう)説法」とか仰る。
我々のお経の声そのものが説法である、と。
声明そのものが説法になる、ということだと解釈する。
江戸時代の声明の解説書『魚山蠆芥集(ぎょさんたいがいしゅう)』というものがある。
「魚山」とは、中国の地名に由来する声明の聖地のような所で、それにあやかって京都・大原のお寺の山号を「魚山」としている。
大原は、都を離れて隠遁する場所であり、純粋な修行の道場で、特に声明が盛んだったことから「魚山」は、声明の代名詞のようになっていて、真言宗であるが「魚山」の名を冠しているということだろう。
「蠆芥」は「塵芥(ちりあくた)」の意味なのだろう。
「蠆」は(さそり)のことだが「蠆」は「蔕」であり、これは共に「小さいとげ」というような意味。
「芥(あくた)」は「わずかなこと。ささいなこと、わずかな心のわだかまり」という意味。
へりくだったというか、ちょっと下がった言い方。
和歌を集めた『梁塵秘抄』も「梁の塵が飛翔するような声で唱う」というような意味が込められたものと思う。
そんなこんなで「聲塵」という題名にした。
文字そのものは『新義聲明大典』の中にある活版の文字そのものを拡大したものだ。
サイズはB5。
『魚山蠆芥集』が概ねその大きさで、古来の日本の判型が「B」版であることと、A5の研究書は多いが、レイアウトが難しくなる。
それに、ワタシ自身が小さい文字だと老眼で読めない。
A5に大きな文字というのも無い。
13Q以上は使わないのが常。
A4だとグラフ誌の要素が出てきて文字中心の研究書としては相応しくない。
送るのも大変だし。
・・・ということでB5。
昨年の秋にはほぼ完成していて「作ってはみたものの、さて、どうしたもんか?」と思っていた。
寺のお金で作れるのか?・・・とか思案していたが・・・
変なタイミングで、母が亡くなり、ヘンな話しィ〜(c.v.川井ちゃん)その相続で作れるか?、ということを思索。
自費で作るなら悩む必要は無い。
6月15日の「弘法大師誕生」にするか?・・・と奥付を作ったまま・・・
6月初めに開かれた本宗の研修会で『声明大典』に付いての講義があるということになり、その問題点を書いている本誌を出すのは申し訳ない、ということで延期したら、忙しくて、なかなか踏み切れず、また印刷屋さんも忙しく、盆は過ぎ、8月下旬の納品となった。
挨拶文も「8月吉日」で書いてしまったが、概ね9月になってからの発送となった。
ただ、相続の手続きが遅れに遅れて、10ヶ月の限度ギリ。
印刷所への支払いには間に合った。
母が残したお金だが、父の時に半分の相続をしており、ま、どちらにしても檀家さんからいただいたお布施が元になっての給与だから、法に返すのも良いかと思う。
次回からは、冊数も配送もグッと少なくなるので、寺のお金で作らせていただく事にするか、と。
我々が声明を習う時の必須の書物『智山声明大典』の間違いを指摘させていただいた。
これは、智山派初代管長猊下・瑜伽教如師がまとめた物を出版されたもの。
智山派管長で智積院の住職を能化(のうけ)様という。
能く化導する、で能化さま。
我々は化導されるほうで「所化(しょけ)」という。
能化様の仰ることに逆らうことはできなのが、我々所化なので、文句など言えない、が原則。
だから、アンタッチャブルなワケで、ワタシがやったようなことは、ホントはやってはいけないこと。
しかし、間違ったことを何時までも大切にしていても仕方が無いし、進歩も無い。
大正時代のものを引き摺ってるのも愚かと思う。
故に、間違いを提示した。
取り敢えず、智山派全寺院に送って、ワタシの思いは成就した。
もう、何時死んでも悔いは無い。
という、実にスッキリした気持ちでいる。
今年になってから「次」の研究を始めており、これこそは、6月には出したい。

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