【道祖神】塩谷町 大久保新田の男根群・・?


『性神の謎』には・・・

塩谷町大久保新田の星の宮神社には「男体山」と「湯殿山」の大きな文字碑が並んで建っている。
この神社は現在社殿が失われて広場になっており、また、石碑は道路に面しているのでいやが上にも目にとまる。


・・・と書かれている。
この「現在社殿が失われて広場になっており・・」という文言から、近くにある公民館を想定して訪ねた。
神社と公民館が併設されているケースが多いのでそう思ったわけだ。

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Googleマップのストリートビューで、植え込みの向こうに石が立っているのをみて「コレかも知れない」と思ったわけだが・・・

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それはこういうものだった。
太平山は分かるが、石尊山は?
すぐ近くにもあるが、太平山と並ぶというのは県南・足利の方のか?

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アチコチにあるということは、例えば「羽黒山」がアチコチにあるように「石尊山」の有名どころ、ということか?
でも、太平山は栃木のように思える。

東御(とうみ)市のHP内「石尊さまの納め刀」という所に、以下のようにありました。

石尊さまは、農耕の神様として知られ、その本社は神奈川県伊勢原市の大山の山頂に 鎮座してます。標高900mほどの山ですが、平坦な関東平野にあっては、ひときわ目につく山峰です。そのため、大山峰への雲のかかり方で、明日の天気が予測できると言われて、 雨乞いの山、農耕の峰として信仰されてきました。加えて巧みな講組織による信仰を広め、「大山詣」(おおやまもうで)と呼ばれて江戸時代から大山石尊講は関東一円から信州にまで広められました。

大山参りだったのですね〜。
以下、Wiki先生

石尊権現(せきそんごんげん)は、大山の山岳信仰と修験道的な信仰が融合した神仏習合の神であり、十一面観音を本地仏とする。
大山寺の本尊が不動明王であったため誤解されることが多いが、門前町の観音寺の本尊が本地仏である。
神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、相模国雨降山大山寺から勧請されて全国の石尊社で祀られた。
石尊大権現、大山石尊大権現ともいう。

江戸時代に大山は江ノ島と並んで江戸近郊の半ば観光地となって大山詣が盛んになり、関東一円で大山講が組成されるとともに、源頼朝の戦勝祈願の故事に由来した納め太刀が流行した。
当時の様子は江戸から石尊権現の神名を記した大きな木刀を担いで大山に参詣する浮世絵にもみられる。
代表例として歌川豊国の「大當大願成就有が瀧壷」や歌川芳虎の「大山石尊大権現」などの作品がある。
大山詣が盛んになるにつれ宿坊が建ち並び、大山詣を案内をする御師が活躍した。
その規模は八大院、坊舎十八院、御師百五十余宇に至るほど隆盛した。
また、石尊権現信仰は関東周辺に広がり、各地で石尊山の名称や石尊宮の建立が興り、それらでも石尊講が組成されたり納め太刀が奉納された。
大山講は相模・武蔵を中心に安房、下総、上総、常陸、下野、上野、磐城、甲斐、信濃、越後、遠江、駿河、伊豆に及んで、総講数1万5700、総檀家数約70万軒にも達した。


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『性神の謎』にあるように「いやが上にも目にとまる」というような大きさでは無い。
内容も違う。馬頭観世音と勝善神。

地図を見ると近くに「星宮神社」がある。
こんな近くに二社あるのもオカシイ。
若しかしたら造り直したか?、と家に帰ってから気がついた。

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栃木の神社を網羅したサイト「kyonsight」には以下のように書いてあった。

拝殿左手奥に境内社が4社祀られている。このうちの左から2番目の石祠が貴船神社。「昭和六十一年三月吉日建之」と彫られている。
鳥居右手に「宝永二乙酉暦九月吉日」の旧鳥居柱が残され,となりに昭和63年12月の「完成記念」碑が立っている。
ゴルフ場造成の際にジュンによりなされた町への寄附を使って本殿,拝殿,金比羅神社屋根,水屋,鳥居を建て替えたと書かれている。


「ジュン」ではなく「ロペ」ではないだろうか?
大久保地区の山を開発したゴルフ場である。

何らかの理由で社殿は無くなっていたが、ゴルフ場開発でお金が下りてきて「ご先祖様の土地のお金だから、あの神社を再建すっぺ」ということなのではないだろうか?

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しかし文字碑は「二荒山」と「勝善神」もうひとつは「念仏供養」。
ちょっと気になる所があったので、ここは再訪したい。

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神社と言えば、狛犬さま。

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このあたり、あちらコチラでこういうものを見る。


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