開山堂の脇から道が続く。
なんとも良い雰囲気の道が続く。
神仏分離以前の話。
お不動様を鳥居越しに配する。これが、元々の日本の信仰感だったということ。
明治政府の神仏分離がおかしいことだった。
アチコチお大師様「伝説」
この瀧尾(たきのお)神社へ向かう道は、神社を越えてなお続き、そのまま女峰山への登山道となる。
副住職がお世話になっている多氣山では、毎年秋に日光連山5座の縦走をする。
その初めが、ここだ。
ここから登って行く。
日光二荒山神社から逸れてここに降りて、女峰山の麓の山小屋に泊まり、女峰山を登る。
その後、3日かけて縦走し、最後に男体山を裏から登って中宮祠に降りるのだ。
瀧尾神社からの登山道は、今ではバリエーションルートのようになっているが、道のあちらこちらに修験者の修行の場「宿((しゅく)」の跡があるという。
そこを通りながら登って行くのだ。
日光二荒山神社の別宮。
女峰山の神が降臨し、弘仁11年(820)に創祀されたと伝えられる。
なんとなんと、弘法大師空海様の創建と言われているが・・・まぁ、無理。
祭神は田心姫命(たごりひめのみこと)
古くは「女体中宮」と呼ばれたという。
「御神体」と「祭祀される神様」との関係が実はよく分からない。
元々仰ぎ見たモノが御神体たる女峰山で、具体的に神社の中にお祀りするのは「田心姫命」ということか?
女峰山の神様は、日本の神様の系統では「田心姫命」ということ?
元々は女峰山そのものを信仰していたが、だとすると、本殿も拝殿も必要無い。
それを神社として整備するのに神様の系統が用いられたのだろうか? 全国の神社で・・
王政復古の歴史的背景の中で神仏分離令が出され、廃仏毀釈の運動が盛り上がった。しかも、この権力者側による一連の運動は、国家権力と宗教人との闘争にとどまらず、民間信仰の対象とされた巷の神々をも巻き込んで、大荒れに荒れたのである。
もちろん、国家という名において権威づけられた神々、すなわち『記・紀』や『延喜式神名帳』に記された神々が前面に押し出され、その他の佛や、民間信仰の対象となった神々は、廃滅されたり、あるいは蔭にかくされたりしてしまった。
日光地方では性神祠が目立って多かったので、外来客の目ざわりにもなるとされて、夥しい数の男根像が廃棄された。噂では、開山堂周辺にあった男根像は、どこかにまとめて埋められているというkとなのだが、その数は、およそ百体に登るというからすごいものである。『性神の謎』
神社へ向かう道の初めには、勝道上人の開山堂があり、そこには「産の宮」があり「陰陽石」がある。
妊娠・安産を祈願する。
産の「宮」というが、祀られているのは聖観世音菩薩であるが、ここも鳥居をくぐってお参りする。
陰陽石=男女の交合によって妊娠し、そして安産を祈願する。
瀧尾神社の奥の奥にも「子種石」というモノがある。
子種石の回りを統計回りに・・・というと、古事記の「国産み」神話では、イザナギ命の方だから男が回るということかい?
「子種」というからには、とよく見れば、亀頭に見えなくもない。
・・・いや、見える。
縁結びの笹、なるものもある。
とことん「男女」に関わる。
道は女峰山に向かう登山道。
沿うように清流がある。
谷や泉は女性。
女峰山から流れる豊かな清流に、亀頭をイメージする「子種石」があり、妊娠を祈願する。
この風景こそが、日光連山への信仰であると言って良い。

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