【神社仏閣】宇都宮と日光の「二荒山神社」(その2)

Z5D_3786.JPG

『続日本紀』の承和3年(836)に記事に・・・

奉授下野国従五位上勲四等二荒神正五位下」というのが書物にみる「二荒」の初見らしい。

『延喜式』(927)には「下野国河内郡一座二荒山神社名神大」とあり、これは宇都宮の二荒山神社を指している。
宇都宮二荒山神社が荒尾山から現在地に遷座されたのが承和5年(838)というから、遷座以前から二荒の名が使われていたことになる。
弘法大師さまの没年は承和2年春弥生。
その時既に「二荒」の文字が使われていたと言うことになる。
そうすると、お大師様が書かれた「補陀洛山」というのは、若しかしたら、お大師様がそう解釈された、ということかも知れない。

すでに「フタアラ」の名がすでにあってのところへ、その発音の類似する「補陀洛」の名を、空海は自らの信仰信念をこめて付会したといった方があたっているのではないだろうか。
・・・と『性神の謎』の著者は書く。

宇都宮市の中心地、二荒山神社の南、曲師町・鉄砲町のあたり、つまりオリオン通りあたりに大きな池があったという。
言われてみれば、そこいら辺は土地が低いし、釜川という川が流れている。
その池の東のほとりに小高い山があった。
池に突き出た形だったのだろうか「荒尾崎」と呼ばれていた。
それが荒尾山であり、二荒の神は、初めそこに祀られていた。

この荒尾山には、明治5年に、戊辰・西南戦役の戦死者を祀る招魂社が建てられ、戦後道路拡張のために切り崩されるまでは、招魂社の山として親しまれていた。私も、かつては、この山で幾度も遊んだ経験があるが、その頃はまわりにビルもなく関東平野が一望に見わたせた。もちろん、日光連山を眺めるには、もってこいの場所だったのである。
下の宮の社殿、招魂社の社殿も西向きで、山そのものも西向きという感じなのである。西麓に大きな池があった昔はなおさらのこと、この感が強かったと想像できる。
『性神の謎』

この荒尾山は男体山の遙拝所であり、そこに祀られていたのは二荒山=男体山だったと考える方がスムーズに考えられると思うのだ。

P1329535.jpg

現在の「下の宮」
こうなる前は、ここも「西向き」だったらしい。

P1329537.JPG

通りから随分と下がっているのがお分かりいただけるだろうか?

P1329538.JPG

祭神は、豊城入彦命ということになっているが、それは「今」である。

私は神社の在り方には2種類あると思う。
それは、元々土地の人々が拝むとか崇める場所があって、やがて「神様」や「神社」というものが形作られ、系統が出来で整備された時に神社が出来たものと「おらが村にもお稲荷様が欲しぃべぇよ」といって、伏見稲荷にお金を送るか誰かが行ってお札を持ち帰ってお祀りすればそれがお稲荷さんにまる、という形の何れかだと思う。
荒尾山には、元々男体山の遙拝所という意味合いがあって、神社が祀られたということなんだと思う。

Z5D_3863.JPG

二荒山神社の、これも謎、である。

本殿の真西に「女体宮」というのがあるが、これがHPの「境内のご案内」の地図には載っていないのだ。
これは、神社に聞くしかないか・・・

しかも、これが「西向き」なのである。

Z5D_3779.jpg

「女体宮」というくらいで、これは女性神を祀る。

ここには絶え間なく千羽鶴が奉納され、また、女性の命ともいう髪の毛や、時には下の毛(陰毛)までもが奉納される。

Z5D_3776.JPG

この女体宮は男体宮の存在を示唆する。女体宮があって男体宮がないのはおかしいではないか。ということでる。本殿に寄り添うような、きわめて重要な位置にある女体宮の存在は、二荒神そのものが男体宮であることを示しているのではないだろうか。『性神の謎』

私は、西向きの(=日光連山を向いた)この女体宮こそが、元祖・二荒山神社だったのではないか、と思う。
設計にどのような意図が込められたか知る由も無いが、別の建物ではなく、本殿の囲いにくっ付けて、というかその中に入った状態で女体宮がある。
それも本殿の真横にあって、あたかも本殿から西を見ているような位置にある。

Z5D_3772.JPG

男体山が二荒山と呼ばれていたワケだから男体山=二荒山であり、二荒神=男体山と言える。
そして、男体山の隣には、女峰山=女体山が並んで在る。

故に、日光二荒山神社と、宇都宮二荒山神社はもとは同体だったと見るべきだろう。
日光のは「そのもの」であるし、宇都宮のは遙拝所であり、それを移し祀った所でもある。

Z5D_3916.jpg

もうひとつ西向きの社殿がある。
裏参道の脇にあるのだが・・・今は「東照宮」となっている。

これが問題だ。

これが『性神の謎』では「たりや堂(御旅所)」となっている。
西向き=日光を向いているということで改変されたのだろうか?

これも、神社に聞くしかないか・・・

二荒山神社では毎年「おたりや」という祭りがある。
母などは「おだりや」と言っていた。
春渡祭と冬渡祭であり神輿渡御がある。

この、おたりやの神事に最も重要な役割を果たすのがこの「たりや堂」である。神輿渡御にあたっては、ここで神饌・祝詞・田楽舞があり、その後、街中を巡幸することになっている。つまり、たりや堂は神霊の依り代の役目をしているのである。
たりや堂の傍らには「大山祇神」を祀る小祠があることから、この堂に依りつく神は山霊であることがわかる。いうまでもなく、地理的条件および社殿の向きから推して、それは日光山の山霊である
『性神の謎』

ということらしいが、ここが「東照宮」としてしまったら、そういった神事はどこでやるのだろうか?
それらを全て拝殿などでやることになって、ここを東照宮としてしまったのかも知れない。

なんか、しれ〜〜〜っと変えてしまっている感があるが・・・どゆこと?


この記事へのコメント