【神社仏閣】宇都宮と日光の「二荒山神社」

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日光と宇都宮で同じ「二荒山神社」を名乗りつつ、読み方も祭神も異なる。
そもそも、このふたつの神社が「違う」という方がおかしいのではないか?!

日光二荒山神社(にっこう ふたらさん じんじゃ)は、大己貴命(おおなむちのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと) 。

宇都宮二荒山神社(うつのみや ふたあらやま じんじゃ)は、豊城入彦命 (とよきいりひこのみこと)。
第10代崇神天皇の第一皇子で、天皇の命で東国を鎮めたとされる。
毛野国(のちの下野国・上野国)の開祖とされる。

日光の「大己貴命」は国津神の代表的な神様であり、神話の世界で、存在が大きいというか、広すぎる感がある。
宇都宮の「豊城入彦命」は、具体性を持つ神様だが、これも広い。

そもそも同じ「二荒山神社」という名前を持ちながら、こういう風に「違う」という言い方が、不自然だと思うのだ。
これは、後世に意図的に違えたと考える方が宜しいように思う。

『記・紀』等によって神様が整備される以前から考えるべきだと思うのだ。

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まず、神社などが存在しなかった時代、そう、縄文時代に遡れば、遠くに見える山を見る気持ち・・・
自然への不可思議な思い・・・恐怖や感謝、畏敬の念とともに見る山=自然の中に何か人智を超えたような、神様のような存在を感じ、いや、山そのものを拝むような気持ちが生じ、それが、やがて山岳信仰になったろう。

『性神の謎』の著者は、氏家勝山遺跡にその嚆矢・具体例を見る。
この縄文時代の遺跡には、川原石を使った配石遺構が群在するという。
鬼怒川の東岸にあって、段丘の高台にある。
その鬼怒川に沿って、構築されているという。
これは日光連山、特に男体山の遙拝所という性格があったのではないかと考えられる。
特に「石棒」が土器や石器と共に発見されている。

眼下には豊かな鬼怒川の流れがあり、その元を辿れば日光に到る。
実際に行かなくても、その流れの源を想像することはできるだろう。

隣接する堂原遺跡では、石囲中に大型の石棒が直立して埋没していたという。
これらの遺跡は何らかの祭祀のようなものがあったのだろうと想像する。

古代の人々は、その自然と、生命の神秘たる出産〜その元になる性交〜という不思議を結びつけたのではないだろうか?
若しかしたら、祭のようなことがあって、そういう時には男女が性交するというようなことがあったかも知れない。
今とは、全く次元が違う感覚・思考を持っていたであろう、縄文時代あたりの人々の話である。

植物の含めて、あらゆる動植物が「生殖」の一点で生きている、と言っても過言では無い。
セミやらカブトムシなど、何年も土の中で土を食べて生きていて、地上に出て、僅かの間、生きて、生殖して、死ぬ。
地上に出るのは専ら生殖のためで、地下での生活?がメインなのかも知れない。
人間だって、そうである。
およそ原始の人々は、ほかの動物とそんなに変わらない。

ただ、人間には感情がある。
相手を思う気持ちも、快感もあるが・・・同時に不安もある。
本能は考えないで身を任せた状態だから「本能」なのであって、そこに知恵を持ってしまった人間は、本能への不思議を感じずにはいられない。
本能だけでは済まない、不可思議と思う心と、不安が伴ってくる。

それを処理するように「信仰」の形が生じたのだと思う。

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話が二荒山神社から遠のいているようだが、言いたいのは、神社とかいう概念が作られる以前から、自然に神のような存在を感じるということはあったはずで、そういう感情の方が先だったろうということを言いたいワケですな。

恐らく、宇都宮市を中心にして、周辺では日光連山、特に男体山への信仰が強かったのだと言える。
ビルも鉄塔も無かった時代、見えるのは山である。
その様相に自然とその神秘を見たのだと思う。
そして『性神の謎』の著者が言うように、男体山は男性器の頭の部分を象徴するものだったろう、と思える。
山が男であり、谷は女性である。
鬼怒川も女性のイメージがあったかも知れない。
原始の人々にとっては、自然は怖れるモノであり、感謝するモノであり、それを象徴するのが山である。

日光連山は宇都宮から見て西にある。
あさは朝日に照らされ、夕刻は、夕焼けのシルエットになる。
その山容はなにがしかの感動を呼ぶモノでもあったろう。

男体山に命の根源、生命の神秘を見たのだろうと思う。
古くから、山に神霊的なものを感じ、天気も左右するというような感覚が芽生えていたのだろうと思う。
それを遙拝するのが宇都宮二荒山神社であったろうと『性神の謎』の著者は言う。

であるから、この同じ名前を持つふたつの神社は、元は同じであったろうと思う。
その方が理解しやすい。

祭神が違ったり、読み方が違ったりするのは、後世の人為的なものに思える。
それよりも、日光の二荒山神社は男体山そのものであり、宇都宮のそれは、そこに向けてというか、繋がる遙拝所というものであったろうと考えると、合点が行くのだ。

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恐らく、宇都宮の二荒山神社が先だったのかも知れない。
初めは、男体山遙拝のための施設だった。その意味合いが大きかった。
日光二荒山神社は、その男体山そのものである。
それも、麓からの遙拝所という意味で昔からあったのかも知れないが、ソコまで行くより、多くの人々が「この地」で遙拝することが重要だったのだと思う。

宇都宮の二荒山神社が「豊城入彦命」という祭神を迎えたのは、神社が理論的になろうとしたころの話なのではないだろうか?
神様の系譜などが決められる頃のこと。
それ以前は、男体山=二荒山を拝む故に「二荒山神社」だったのだと考える方が分かり易い。
今の祭神を説明するより合点が行く。

「宇都宮二荒山神社は、日光山信仰の本拠というべき神社だった」というのが『性神の謎』の著者の「仮説」である。


・・・続く・・・

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