2月15日の涅槃会に際して、お話しすることの草稿をそのまま記事にシマス。
2月15日は「涅槃会」
お釈迦様が涅槃に入られた、ということです。
では「涅槃」って何?・・・ということですが釈迦様が亡くなられた、ということです。
「入滅」とも言い、仏が滅したということですから「仏滅」ということになりますが・・・
「仏滅」というのが暦にありますが、あれは「物滅」と書いていたもので、お釈迦様とは関係ありません。
そもそも、お釈迦様の命日が6日にイッペンくらいでしょっちゅうある、ということがオカシナことで、お釈迦様の命日は、2月15日しかありません。
お釈迦様の物語にはいくつもの重要なシーンがあり、主なところでも、お誕生、出家、修行、成道(お悟り)、涅槃、とあるのですが、日本に於いては、この涅槃図と、花まつりの花御堂・誕生仏がよく知られたものだと思うのですが・・・
4月8日の花まつりは知られているとおもいますが、さて、涅槃・涅槃図はどうでしょう?
皆さんご覧の廣琳寺の涅槃図ですが、実は、私はこの存在を知りませんでした。
令和4年に副住職が八千枚護摩供という修行するする際に、本堂を片付け、準備をしていたときに、見つけたものです。
私は先代から聞いていませんでした。
ウチには涅槃図は無いものと思っていましたが、こんな立派な物があり、驚いています。
いつ誰が描いたものかは分かりませんが、大変古いものだということは分かります。
これがどこかの寺にあったものがウチに来たというもので無く、元々あったものだとすると、相当に古い物だと言う事になります。
ご覧の様に、元々の画は大変傷んでいて、修復したものですが、その修復も何時されたのか、何も記録が無いのでわかりません。
ただ、この傷み様から、長い間使われてきたものであるということがわかり、相当に古い物だと思われます。
それほどに、涅槃会というものが定着し、法要が行われてきた、ということだと思います。
それだけ、皆さんに親しまれていたということでしょう。
宇都宮佛教会では、会長の任期の最後は会長の寺で行なう、というケースが多いのですが、偶然この涅槃図が見つかったことで、ここでこうして涅槃会を行うことができたのは、大変嬉しく思っています。
さて、お釈迦様ですが・・・涅槃会の法要の中で「釈迦牟尼仏」とお唱えしましたが、この「釈迦」というのは名前ではありません。
お釈迦様が生まれた部族がシャーキャ族という部族で、シャカ族の聖者、シャカ族の尊い方という意味の「シャーキャムニ」を「釈迦牟尼」と言っているわけです。
お釈迦様のお名前は、ガウタマ・シッダールタと言います。
私が若い頃はゴータマ・シッダールタだったのですが、近年、このガウタマ・シッダールタと言うようになっていて、子供の教科書を見て驚きました。
サンスクリット語で言うとガウタマ・シッダールタで、ソレよりも古いパーリー語だとゴータマ・シッダッタとなり、それを合わせたようになってるのがゴータマ・シッダールタということなのでした。
パーリー語というのは古いインドの言葉で、日本で言えば江戸弁で、サンスクリット語というのは標準語のようなものです。
ただ、この「シッダールタ」という言葉も「目的を達成した人」という意味で、チョットというか、かなりできすぎ君なので、どこまで本当なのか分かりません。
お釈迦様がお生まれになったシャカ族は、北インドのヒマラヤ山地の麓に住んでいました。
そこで紀元前565年(566年)にお生まれになったということです。
お父さんは、シャカ族の王様、シュッドーダナ(浄飯王)という方で、お母さんはマーヤー(摩耶夫人)。
お父さんは、シャカ族の王様でしたから、お釈迦様はシャカ族の王子様ということになります。
お母さんマーヤーさんが出産のため里帰りをしている途中、カピラヴァストゥというお釈迦族のお城から出てほどなく、郊外のルンビニというところで、右脇の下から生まれたということです。
「産みの苦しみを与えないために産道を通らずに右脇腹から生まれ出たというのですが、ソッチの方が痛くて大変だと思いますけどね・・
お母さんのマーヤーさんは、お釈迦様を出産した7日後に亡くなってしまい、お釈迦様はマーヤーさんの妹によって育てられます。
お釈迦様は王子様ですから、とても大切にされ、すくすくと育ちます。
16歳とも、19歳とも言われていますが、お釈迦様は、ヤショーダラーと結婚し、跡継ぎ息子としてラーフラが生まれます。
そしてある時、お釈迦様が初めてカピラ城から外出したとき、
最初の外出では老人に会い、
2回目の外出では病人に会い、
3回目の外出では死者に会います。
何不自由なく育ったお釈迦様ですから、これが相当な衝撃になったのだとおもいます。
人の命は永遠ではなく病や老いを経て死に至る、この世は苦に満ちていると感じます。
生老病死の四苦といいますが、この「苦」というのは、苦しみそのものではなくて「思い通りにならないこと」という意味です。
そして、4回目の外出では一人の出家修行者に出会い、生・老・病・死を超越した生き方があるということを知り、出家の意志を持つようになります。
その後、29歳あるいは30歳で出家します。
そして、その後5・6年の間に様々な苦行を行ないます。
断食修行でわずかな水と豆類などで何日も過ごした。
断食修行により釈迦の心身は消耗し、骨と皮のみのやせ細った肉体となっていました。
その村に住むスジャータの乳粥の施しを受けたことで、過度の快楽が不適切であるのと同様に、極端な苦行も不適切であると悟って釈迦は苦行をやめます。
スジャータの供養によって体力を回復し、菩提樹の下に座って瞑想に入り、悟りというものをえます。
それから35年間に渡って教えを説いて下さったわけです。
そして、80歳の時、旅の途中でお腹を壊してしまいます。
鍛冶屋のチュンダという人が食べ物をほどこしたのですが、どうもそれが良くなかったようです。
一説には、豚肉料理だったという説と、キノコ料理だったという説があります。
弟子たちには、チュンダを責めるなとおっしゃって、弟子たちに最後の法を説きます。
それが「遺教経」というお経です。
これは、実にシンプルにお釈迦様の教えが書かれたお経だと思います。
全ての教えを説き終わって、お釈迦様は涅槃に入られます。
涅槃というのは、インドの言葉、サンスクリット語で「ニルバーナ」といい、その音写語、漢字の当て字で「涅槃」と書かれます。
日光の輪王寺の隣にある「明治の館」のチーズケーキの名前がニルバーナと言いますね。
「死ぬほど美味しいのか?」という感じですが、あれは「涅槃」という意味だったのですね〜。
「日瑠華」と漢字を当てていて、これは、輪王寺第81世、柴田 昌源 大僧正の命名だそうな。
「日に輝く瑠璃の華の如し」ということらしい。
チーズ王国デンマークかの最高級のチーズを用い、熟練したシェフが丹精込めて焼き上げた手作りのチーズケーキです。
このロマンチックな響きのネーミング「ニルバーナ」は仏教語の「最も優れたもの(悟りの境地)」の意。
・・・と説明書きがありました。
「ニルバーナ」の「ニル」は非定型。「バーナ」は「burn」ですね。
「燃えてない、炎が消えた」ということ。
「ニルヴァーナ」の意味は「吹き消すこと」「吹き消した状態」ということです。
これは、命の炎が消えるという意味でもあり、煩悩を消し去り、悟りの智慧が完成した境地ということでもあります。
今日は仏教会の行事なので「涅槃会」と言っていますが、真言宗では「常楽会」と呼んでいます。
涅槃の境地を表す四つの徳「常楽我浄」の上の2文字を取って「常楽会」と呼んでいます。
我々の世界と、佛様の悟りの世界の対比になり、我々の世界は「無常」だが、佛様の世界はそうではなく「常」である。
我々の世界は「苦」だが、悟りの世界は「楽」である。
我々の世界は「無我」だが、佛様の世界は変わらない「我」がある。
我々の世界は「不浄」だが、悟りの世界は「清らか」であるということで、この上の2文字を取って「常楽会」と言っています。
昨日はバレンタインズデーでしたが、我々は「お逮夜」という法要をします。
「前の晩」という意味です。
本山の智積院では「遺教経」に節を付けて読んでいます。
高野山では一晩掛けて法要をします。
14日の夜の11時から朝の6時頃まで通して法要をして、1時間ほどの食事休憩のあと、7時から11時過ぎまで法要をしています。
本当のお通夜ですね。
ここでは「四座講式」というものを読みます。
鎌倉時代の明惠上人が作られたもので、四つの物語になっています。
お釈迦様が亡くなられた、まさにこの涅槃図の場面である「涅槃講式」、次にお釈迦様のお弟子さんたちが、お釈迦さまが残された尊い教えを広く伝えてゆく、その恩や徳を語っています。
そして、お釈迦さまにまつわる聖地・遺跡を慕い、その思いを偲ばせる「遺跡講式」。
最後に、お釈迦様の遺骨である舎利の尊さ、その功徳、それを崇め奉る気持ちを語る「舎利講式」が読まれます。
物語に節を付けて読む物で、これがやがて、浄瑠璃の謡いや、講談・浪花節まで、日本の語り物の原点と言われています。
勿論、高野山でもこういった涅槃図を掲げて常楽会をいたします。
2月ではなく、月遅れという形で3月15日に行なうお寺も多いようです。
この絵の解説をしながら布教する「絵解き」という文化もありますが、結構俗っぽいお話になっていたりしますね。
涅槃図には共通した特徴が有ります。
まず、満月ですね。
二番目の月の満月の夜と言われていて、日本に仏教が伝わった時には2月15日となっていたようです。
そして、沙羅双樹です。
これは沙羅という木が2本立っている、という意味ですが、絵によって微妙な解釈の違いがあります。
「双樹」という意味が分からないのだと思います。
双樹と言うのですから、本来は2本でいいわけですが、大体が2本ずつ四組、8本というのが決まりのようです。
「双樹」という言葉の解釈にも色々あって、絵師がどのように描いたか?、というのも涅槃図の見所だと思います。
この半分が白くなっているのは、枯れてしまった、ということです。
真っ白な花を咲かせているというようでもあり、これが、平家物語の冒頭・・・
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現す、の「沙羅双樹の花の色」というのはこのことを言っています。
栄華を極めた平家が滅ぶ、ということを、お釈迦様の涅槃に例えた訳ですね。
お釈迦様は80歳でした。
今では驚くことではありませんが、紀元前500年のころの80歳というのは、平均寿命の倍くらい生きている感じだったでしょう。
お弟子さんの方が先に亡くなりますから、お釈迦様は死なないのでは?、と思っていたかも知れません。
しかし、亡くなってしまうわけです。
強大な平家の力をもった平家も滅んでしまったということを、何時までも生きて居られると思えたお釈迦様も亡くなってしまう、ということに例えているわけですね。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」というのは、お釈迦様の時代に、大変なお金持ちの方が寄附をして作られた祇園精舎の鐘の音が、次第に小さくなって消えることを指しているという説があります。
また、祇園精舎は年を取って動けなくなったお弟子さんや、一般の方の面倒も見ていて、そこで誰かが亡くなると鐘を鳴らすので、それを聴いた人が諸行無常を感じる、ということです。
死は、決して逃れるとの出来ないことで、生きとし生けるもの全てがそうである。
お釈迦様も、身体は我々と同じ人間だったから、肉体の寿命が来ればしんでしまう、ということを最期にその身をもって教えて下さったわけです。
今私たちが使っている西暦という暦は、イエス様が産まれた年がスタートですが、お釈迦様の暦もあって、それは、このお釈迦様が亡くなられた年がスタートになっています。
ただし、その年を紀元前544年とするか、紀元前543年をスタートとするかの2説があります。
入滅の年を0とするか1とするかの違いですね。
なので、今年は、西暦2026年は、佛歴2570年または、2569年となるわけです。
沙羅の木の半分が枯れていないのは、肉体は滅しても、その教えは嬰宮系名真理であり、決して色あせることなく、この先も伝えられ栄えるということを現していると言います。
お釈迦様は、最後に「自灯明 法灯明」と仰います。
「自分自身を灯火(拠り所)とし、法(真理)を灯火とせよ」
お釈迦様の教えが「法灯明」です。
それは、ロウソクからロウソクに灯明を移すようにインドから中国を経由して、日本まで伝わってきました。
お釈迦様の教え「法の灯明」は、それを知った者の心に灯火として灯ります。
仏教が伝わった先々で、灯明は移されて、広まってきました。
我々の心にも、皆さんの心にも、その灯火が灯っていて、心の拠り所となっている事と思います。
その教えの大元が、このお釈迦様です。
お釈迦様が見つけられたものは、普遍的な真実であり、それが「悟り」ともいうべきものです。
しかし、それは目標でもゴールでもありません。
その灯火を拠り所として、修行することが大切なことです。
修行というと大袈裟ですが、一般の皆さんは、生き方を考える、ということでよろしいかと思います。
限られた命をどう生きるか?
間違った生き方をしていないか?
そういうことを常に考えて行くと言う気持ちが大切なんだと思います。
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