・・・って、ディズニーランドかよ〜!・・・な、マンモス・ホスピタル・獨協大学病院。
朝、車で向かいながら・・・車を運転しながら・・・嗚呼、次第に気持ちが沈んで行く。
だんだん切なくなってゆく。
病院に行くときはいつもそう。
年を取るということの「戻れない悲しさ」を切々と感じる。
今の病気も老化が元。
嗚呼、年寄り・・・なのよ、ワタシ。
あと何年生きられる?!
10年後は77!
一年が貴重!
いよいよ、切実になってくる。
今までぼ〜〜〜〜っと過ごしてきた67年に比して、あと10年は短かすぎる。
これまで、何もせずに過ごしてしまったようにも思えてくる。
あと「ひとまわり」すると80に手が届く。
これからの10年が、どれほど大切なものか?!
思えば、初めて飛蚊症になった時・・・年取って、目が汚れたんだ、と思った。
これは、治らない。
ただ年を取るばかり。
それを意識した始まりだった。
40台後半だった。
その時に、老化を感じていたはずなのに、呑気に生きてしまったようにも思え、後悔がよぎる。
その後も、次々「老化現象」が我が身に生じる。
60を過ぎた頃から「年を取る一方なのだ」ということを、その度に実感する。
ここへ来て、ホントに後が無いのだ、ということを思う。
10年先輩の諸兄を拝見し「オレも、20年経つとああなるのか?」と思ったり・・・(^o^)
獨協の眼科は有名らしい。
以前、めまい外来で来院したときに待合室、というか、でっかいロビーにいる人数に驚いたが、相変わらず。
(耳鼻科と眼科は隣合わせ)
20日に行った時も、着いた時にはイッパイの人が座っていた。
驚いた。
いつ来たの?!
目を患う人がこんなにいるか?!・・・と思う。
多くの人が歳とともに患う一番の病気が目ん玉かも知れない。
寺の近くに、昔大きな農家の持つ薬師堂があって、そこに「目」と書いた紙を奉納したという。
癌とか認知症とかになるなど、長寿になったが故の病気もあるが、目の病気は40歳あたりを中心に出る。
これは、昔も今も変わって無いだろう。
寿命が短かった時でも、先ず罹るのが目の病気、ということが多かったのではないだろうか?
そもそも、仏教が日本に伝わった時、まずお薬師さまが来た。
奈良の薬師寺然り。
最澄さんが刻んだのも薬師如来。
薬師仏が本尊という真言宗の寺は多い。
仏教の力にすがったのは、やはり、当病平癒だったのだろう。
一番の切実な悩みは病気。
今の中国から見て、東にある日本。
東方薬師瑠璃光浄土におわしましますお薬師さま、ということで東に来た、という面もあるのしょうが・・・
還暦になったら長生きで、オマケの人生・・・という時代があったわけだが、ワタシは、還暦もとうに過ぎた。
祖父が亡くなったのが72。
あと5年である。
祖父は、我が宗に、ご詠歌・和讃という大きな業績を残した。
そういうものがワタシも欲しい。
何か残したい。
8時40分に入って、料金払ったのが1時。
相当に時間が掛かる。
今回は、散瞳はなかったので、お昼食べて帰る。
それにしても、病気の人がこんなにいるか!・・・と改めて思う。
我が「黄斑部疑円孔」は、今の所、急にどうこう、ということでは無い様子。
急に見えなくなるとうようなことは無いだろう、ということで、少し安心。
手術はしてもいいけど、しなければならないということではない。
白内障もあるので、してもいい。
どうしましょうか?
・・・ということで、取り敢えず、4月まで様子を見るということになった。
その時点で変化があれば、そこで、考える、ということで。
ワタシとしては、急に入院、というのは困るので、日時を決めて手術、という風にしたいと思う。
あと10年生きられたとして・・・
あと10年・・あと10年・・・と考えながら病院へ向かった。
帰り道は、すこし気が楽にはなったが・・・
ナカナカに、寂しいものがある。
悔いを残さぬよう、これからは少し我が儘をさせてもらって生きる。
「残りの人生・残された時間」という重みがある。
取り敢えず、明日も起きられて、明後日も起きられて・・・
無駄にせぬように。
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