新年早々の葬儀が3件とも「一日葬」。
1件は、はじめてやる葬儀社。
「一日葬」を売りにして一年くらい前に余所から来た。
相変わらず「一日葬という形でやっていただけますか?」というようなことを聞いてくるから「ダメ」と言っている寺はあるのだろう。
これに関しては、ウチの檀家さんには、私が葬儀をするようになる前だったか「通夜なし」という地域があった。
昔の部落、転じて自治会で決まっていた。
一箇所は、最近まで「火葬所まで寺は行かない」という地域もあった。
通夜をやらなければイケナイ、と言っている寺院の理由が分からないが・・・
もともと「通夜の法要」というモノは無い。
ウチの宗派では、通夜のマニュアルは無いはずだ。
強いて言えば「何でも理趣経」ということではある。
通夜は「夜を通す」ことで、6時頃法要をするということは通夜のスタートという意味合いになるか?
夜を通して誰かが故人の側にいる、ということが大事なことで、だからこそ「通夜」と言い、法要の意味ではない。
誰かが起きてるとか、長男が添い寝をする、ということをする地域は格好有ったと聞く。
法要としては「枕経」だろう。
ソレをやっている感じではある。
「通夜式」となり、通夜が形式化したのは、ホール葬になってからだと思う。
逆に、ホール葬になって、本来の通夜の意味が分からなくなったんだと思う。
最近困っているのが「直葬」。
これは何度も書いているが、もともと宗教を入れないで火葬することを言うものだった。
『月刊 SOGI』の編集長、碑文谷さんが揶揄する意味で言った、と仰っていた。
「火葬」と「葬」の字が入ってはいるが、厳密には「葬儀」ではない。
「葬儀をしないもの」を「直葬」と言った。
もちろん「直送」の意味である。
困るのは、これを(じきそう)と言ってしまうボーサンがいるということ。
呉音で言ったら、なんか昔からあるようじゃん〜、という感じになってしまうから、これは絶対にやめて欲しい。
これを「火葬式」とか言ってる葬儀社が結構ある。
どこかの葬儀社が勝手に言ってる呼び名で、こういうのが非常に困る。
もともと「家族葬」という、何処からでたのか、いつの間にか流行ってしまって言葉があって、それが「葬儀の規模の小さい葬儀」という認識を生んだ。
普通の葬儀に対して「規模の小さな葬儀」という対比になったわけだ。
新しい(困った)概念の創出である。
そこから「葬儀の規模を小さくする」という流行が生まれた。
タレントさんとかが亡くなったという報道があると、だいたいが「葬儀は家族で済ませました」という言葉が付いている。
これは、公私の「公」が大きすぎるので、まず「私」の部分で「葬儀」をする。
それは「家の宗教」でする。
会社で行ない「密葬・社葬(本葬)」と同じ事。
そして「後日、お別れの会をします」という言葉が付く。
会葬者が不特定多数になるので、宗教を入れないことが多い。
これが「告別式」である。
宗教に依って行うのが「葬儀」で、宗教を入れないでやるのを「告別式」と言った。
「葬式」に対する「告別式」である。
これは、明治時代の中江兆民さんの「告別式」に端を発する。
「家族だけでの葬儀」というものが優しく、本来の「お別れ」という意味あいがあって良いもの、として印象づけられていたところに「家族葬」という流行がやってきたのだ。
「俺が死んだら家族で昔話をしてくれれば良い」とお父さんが話すCMを「小さなお葬式」という会社が流していた。
つまり、この会社は、宗教による葬儀を否定している、ということになる。
「全日本仏教会」あたりで抗議しても良いと思える件だった。
地元【下野新聞】では「おくやみ」の欄に「家族葬」ということばを何の疑問も持たずに載せている。
しかし「家族葬」という言葉に定義は無い。
もともと、そういう言葉は無かったのだから。
【下野新聞】は「告別式」という言葉も平気で載せている、というか「告別式」としか書かない。
言葉を扱う者がそれでいいのか?!・・・ということ。
ウチの母の場合「葬儀」としてもらった。
「告別式」と書き「家族葬」と書く。
まったく言葉が分かっていない新聞社で、こまったものだ。
両方とも間違っている。
ちなみに、下野新聞は故人の氏名には旧字体を使うが、寺の名前には旧字は使わない、と言っていて、ウチの名前は当用漢字になってしまった。
寺の名前や会社の名前では旧字体で登記してあるところもあり、当用漢字にしてしまうと違う名前になってしまうような感じになってしまうではないか?
ヘンな所を文字に拘っているが、そもそも、どちらも間違っていて、バカとしか言いようが無い。
「家族葬」にはまた一方で、創価学会の「友人葬」という言い方の影響もあるだろう。
創価学会は宗教法人だが、元々は日蓮正宗の信者団体だったのが、勝手なこと言ってるので破門になった。
だから、本来の形からすれば「宗教」法人とは言えない。
ベースとなる宗教が抜けたのだから・・・
ソレまでは正宗のボーサンが葬儀をしていたが、それが叶わなくなって、自分たちでお経を読む「友人葬」ということにした。
その(名称の)影響もあるのかも知れないと思う。
「家族葬」というものも、そういう意味からすれば、あるいは、言葉を捉えれば「家族だけで告別式をする」という意味合いになる。
厳密には、これにも「宗教が入らない」という意味になるのだと思うのだが、これが曖昧になっている。
何も考えずに業者が使い出したためだ。
家族葬が葬儀の規模を小さくするという意味合いで使われだして、ならばもっとコンパクトな葬儀を・・・というのを「売り」にしだして・・・
「直送(火葬式)」「一日葬」などが、いつの間にか加わってきた。
注意すべきは、これらの言葉は葬儀社側が勝手に言っているものだ、ということ。
これが問題なのだ・・・と、漸く標題になった・・・。
いずれの言葉も「定義」が無い。
葬儀の規模を表す言葉として、勝手に作られ使われているもので、我々とのコンセンサスも皆無。
逆に言うと、葬儀社によって「やり方が違う」ということになる。
その一番が「直葬」なのだ。
ある葬儀社は「直葬は宗教が入らない」と分かったようなことを言っていて、出棺前にお別れがあるのなら、そこで引導をさせてくれ、というと、それはできない、と言う。
仕方なく、火葬場で短時間でやるしかない。
続く・・・・
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