年末に思い切ってしまいました。
渡部さとるさんのYouTube【2B Channel】で紹介され、かなり高い本ですが、半分くらいは淀橋の点数があったので、清水の舞台から・・・です。
こんなものに入ってきます。
この段ボールも棄てられない感じ・・・
鉄道写真 広田尚敬 [単行本] の 商品概要
鉄道写真家・広田尚敬の集大成にして決定版
広田尚敬さん(1935年~)は日本の鉄道写真家のパイオニアであり、カメラマンやファンから尊敬の念を込めて「神様」「レジェンド」と呼ばれる存在です。まだ、日本で鉄道写真という分野が知られていなかった1950年代後半より活躍し、1968年に鉄道写真展の嚆矢とされる「蒸気機関車たち」を開催。その後もSLブームやブルートレインブームなどを牽引。200冊以上の著書があり、いつの時代も鉄道写真家のトップランナーであり続けた広田さんの集大成にして決定版となる写真集です。
広田さんは本書のために、これまでに撮影した数十万点に及ぶカットを見直し、モノクロフィルム、カラーフィルム、デジタルの順に時系列で約400点の作品を選びました。いずれも鉄道ファンが憧れた名作ばかりで、未発表作品も数多く掲載しています。また、今は見ることのできない列車や風景、路線をとらえた貴重な記録でもあります。巻末では広田さんが自身の作品を解説。多くのファンを魅了した「流し撮り」や「動止フォトグラフ」といった広田さんが編み出した撮影テクニックを余すことなく公開。鉄道写真を芸術の域にまで高めた、多彩な作品をご堪能ください。
【編集担当からのおすすめ情報】
初回出荷分だけの二大特典をご用意しています。この機会にしか手に入りませんので
早めのご予約をお薦めいたします。
特典1 直筆サインを入れた貴重な銀塩プリント!
躍動する蒸気機関車C62の動輪をとらえた広田さんの代表作『動輪』(1967年)を
六つ切り(縦203mm×横254mm)の銀塩プリントにして同梱。広田さんが現像を
指導し、1枚ずつ仕上がりを確認して直筆サインを入れたファン垂涎のお宝です。
特典2 広田さんゆかりの品がもらえる購入者プレゼント応募券!
広田さん愛用のカメラやグッズなどが抽選で当たります(応募は2026年1月31日
当日消印まで有効)。
初版の「コレ」に釣られたというと・・・半分正解。
ワタシが中学の頃、いわゆる「SLブーム」というものがあった。
1970年を前後して、国鉄の「無煙化政策」というヤツで、SLは、限られた所を走るのみになっていて、やがて無くなることは目に見えていた。
動力の近代化は進み、やがて電車に置き換わる。
やがて100%となる電車に較べれば、SLは「機械」であり、人が動かす機械、鉄の機械で、生命的ですらある。
(後年、その電車にも夢中になる鉄ちゃんという人種が生まれるとは思えなかった)
永六輔さんの「日本の歌」シリーズで「遠くへ行きたい」が歌われ、国鉄も「ディスカバージャパン」というキャンペーンを敷いた。
消えゆくものへの郷愁もあって、SLが「旅」と重なり、SLに乗る旅に憧れた。
消えゆくSLを写真に収めよう、という輩も出てきた。
北海道などに「有名撮影地」という所が生まれ、カメラマンが殺到する。
そういう所では、ファン同士のトラブルに加え、地元民との間でも民家の庭や農地など私有地への無断立ち入りといったトラブルが発生していて、マナーの問題が言われるようになっていた。
同時に「生録(ナマロク)」のブームもあった。
写真ではなく「音」を残そう、というムーブメントがあった。
SLは写真としても魅力的な被写体であるが「音」の魅力も相当なものから、当然の成り行きかも知れない。
沿線に、ステレオマイクを立てヘッドホンをする録音マニアも殺到する。
オーディオのブームは既にあって、FMの音楽をエアチェックするために、高性能なテープレコーダーができていた。
この時期、ポータブルのテープレコーダーが一気に高性能化する。
そんな時期に、広田尚敬さんは、鉄道写真で高い評価を受けた第一線のカメラマンだった。
1960年にフリーの写真家に成られている。
私が生まれた2年後だ。
最初は、コレ。
ワタシは高校に入ってすぐ、写真部に入った。
取り敢えず、写真部をやってみっか、と思った。
2年生はほとんど出てこなかったが、見れば下手くそ。
3年に2人上手い人がいたが、いずれも「敵じゃ無い」という感じ。
同級生に2人、SLを撮っているヤツがいた。
1人は、まあ、普通・・・。
しかし、もう1人は、上手かった。
「技術と努力」で敵わないと思った。
北海道の雪原を黒い煙を見事に上げて走るSLを、高い位置から撮っている写真を見て驚いた。
父親が国鉄職員という筋金入り。
高校生が、冬休みに北海道に行って、雪の中を小高い山に登って、来るSLを待ち、撮る。
この「努力」。
そういうヤツだから、大好きなSLをより良く撮りたい、という気持ちなんだろう、現像・プリントの技術も高かった。
実に良い調子のプリントを焼く。
「負けた・・」と思った。
以下『2B Channel』のインタビューから・・・
広田さんがフリーカメラマンになった1960年ごろは、雑誌の創刊ブームだったという。
それで、カメラマンが必要になった時だったという。
カラー写真が使われ始める時代、広田さんの写真は「露出が揃っている」と言われたらしい。
それは関研究所の「 関式露出計 セノガイド C」というものを使っていたからだと言う。
▲「関式露出計 セノガイド C
カメラに露出計が組み込まれる以前には、こういう計算尺のようなものがあった。
これが合うのだ。
その昔、ワタシもマニュアル露出だった時、フィルムの箱などに書いている露出を基準にして、経験と勘で決めていた。
今や、ピントも露出もカメラ任せになってしまったが・・・
自動化が進むと、無精になる。
今でも、マニュアルで設定した方が安定するとは分かっていても、ついついカメラ任せになってしまう。
カメラは反射光を計るだけなので、被写体の色で変わってしまうが、色々なケースで計って得たデータである「 関式露出計 セノガイド C」のようなものは、その場の光の量を考える。
アナクロ・アナログだが、これが良いのだ。
それに、カメラ雑誌の月例写真のデータを見て、そのデータを考えるのだそうだ。
なるほど、だ。
当時、カラーはコダクロームで、ASA25!・・・12という時代もあったとか。
走っているところは撮れなかったという。
KRの64が出て、走っているシーンが撮れるようになったと。
モノクロの頃は独り身だったが、カラーになった頃、明るい女性と結婚をして、写真も明るくなったとか。
列車の形式を見せる場合、走る列車を真横から撮る。
走っているものを流し撮りでフィルムと列車が並行になる瞬間に撮る。
その昔、鉄道を撮るアマチュアカメラマンもいたが、鉄道そのものをキチンと撮るというやり方が主流で、人物をいれるということはしなかったらしい。
手前に花とか入れると「邪魔だ」と総スカン。そんな時代もあった。
人が入っていると、その陰になってるところの車輌がわからんじゃないか、と。
車内でも、人がいたら椅子が見えないじゃないか、と言われる。
・・・鉄道関係は、昔からちょっとヘン。(^^)
中井精也さんの写真は、これだね、と言える。
型式を撮る、という「形式」に囚われていた鉄道写真界に、おそらく始めてと言って良い「プロ」として入って、こういう流れを作られたのは素晴らしい。
自分が撮れない写真にはお金を払いましょう。
写真集などを買えば良い。
ナントカ列車の最終日に人混みに中で撮ったって、良い写真が撮れるわけが無い。
そういう状況を撮って残すという視点でなら良いが「どけ〜!」「邪魔だぁ〜!!」とかいう罵声を浴びせるのだから「状況を撮る」という俯瞰の視点は無いのだろう。
そんな状況で「良い電車の写真」など撮れるわけが無い。
そこは、専門家の写真集を買えば良いんだと思うけどなぁ・・・
この記事へのコメント
タロウカジャ
ミノルタSR-101に標準レンズから始まりSR-1sと135mmと機材が少しづつ増加し、ブロニカS2との3台体制で稚内から西鹿児島まで時間とお金を投入していましたね。今でも懐かしくやっていて良かったと思います。
その頃に撮影の目標と言うか参考にしたのが広田尚敬氏の作品でしたね。堅くたくましい被写体を柔らかく優しく描写しているが好ましくてその撮影地や手法を真似したものでした。
今回その締めくくりに豪華本を出版されたのですね。
三日ボーズ
広田尚敬というお名前は知らなかったですが、写真には記憶がありました。
氏の写真は鉄道の歴史であり、鉄道写真の歴史でもあり、まとめるにはこうならざるを得なかった、とでも言うような迫力ある写真集です。
出版社側の気合いを感じました。
ひるのいこい
元鉄研で,天文撮影もしていた(しかもA-1で)
モテる要素皆無ですね(w
最近の鉄道写真は 異常です。私もいい作品見たいのなら
プロの本買え派なので 同じ構図で同じ編成とか ついてゆけませぬ。
(まぁ雪の金閣寺に溢れかえる爺婆も似たようなものですが)
私はセコニック系が苦手で今でもオートメーターⅣを(物撮り)使ってますね。
三日ボーズ
しかし、赴くには至っておりませぬ。
そう言えば、正月三が日に茂木の寺に挨拶に行く時、日曜だと、線路脇に鉄ちゃんがいますね〜。
今度撮ってみようかな〜。
・・・多分思っただけ・・・