お馴染みのヤツで・・・
11月27日、密厳流遍照講師範会主催の講習会。
天台宗、叡山流ご詠歌和讃の先生を招いての交流会のようなもの。
天台宗のご詠歌・和讃は、元々は、近畿地方の金剛流だったと記憶している。
本日の先生からも、京節、修行和讃節という言葉がでたが、それに、独特の節が加わったもの。
やがて、融通念仏宗からも曲が移ったらしい。
その初期の先生が、尺八をされていたということから、節の特徴のひとつが分かるように思う。
それに、天台声明の影響も当然あり、一語の節を伸ばす、ということと、その始まりと末の節回しに特徴が有る。
天台声明は「スク」(=真っ直ぐ)という印があっても、音の始まりを1音下の導音から滑らかに入って、最後をはねるようにする。
その導音の入りが、譜面に無くてもそうなっている。
臨済宗は、それが譜面になってる所も多い。
それを我々は嫌う。
日本の声楽では、導音はありがちだが、ハッキリしたものは、音をこねる、と言って、宜しくない、と誰かが仰ってた。
これは、天台宗のご詠歌・和讃を聞いた、曹洞宗・梅花流の方も仰ってた。
これは、その文化なので、どっちが良い悪いではない。
音楽的、という点では我が密厳流の方が音楽的と感じる。
ケッコウ、洋楽的なというか、流行歌的な音になってるところもあるし、新しい曲ではハッキリ転調してる曲もある。
我が祖父のが作った曲などは、そんな感じがある。
今回の先生が、最澄様が神護寺で空海様より灌頂を受けて、その金剛名である「福聚金剛」を・・・・と言う話しをされていた。
弘法大師が帰朝され、神護寺で初めての灌頂をされ、その一人目が最澄さんであった。
その投華得仏(目隠しして佛様が書かれている壇にシキミの葉を落とし落ちた所の佛様と縁を結ぶ)という儀式で、寶幢如来と縁をむずぶ。
その寶幢如来の金剛名が「福聚金剛」であり、天台宗では、我々の「遍照金剛」に当たる文言として、この「福聚金剛」を唱える。
それは「弘法大師からの灌頂」を尊重するということでもあり、そうしている最澄様にも、天台宗の皆様も尊敬できることである。
だって「空海さんの弟子です」ということですからね。
でも、その「伝法」を重んじるということ。
どして、一歩出る?
そこで止まってるなら、渡っちゃえば・・・
新橋は、これから、でもある。
いつまでも「エヴァ」だな・・・
宇都宮に戻って・・・LRT (^^)
ライトレール・トランジット
・・・邪魔くさ・・・
この記事へのコメント