なんか・・・
小便ということもあるのだけれど、早朝に起きる。
起きて、二度寝が出来ず、そのまま起きる。
なんか、心がザワついている感じがする。
母が亡くなる直前に知人の女性が亡くなり、また、ある知人が今、検査入院ということを聞く。
今年は、60代の葬儀が多かった。
思うところ大・・・であります。
母が入っていた施設に妻が行ってくれた。
退所の手続きは簡単で、書類1枚だったという。
あっけないものだ。
部屋にある私物も、まとめて業者に処分の依頼をすることも出来るという。
そういうことをするのが家族とは限らないから、そういう手はずも整っているということか。
片付けに行って、母が4年弱過ごした部屋の写真を撮っておくか、と思ったが、あっけなく「終わって」しまった。
・・・あっけない。
母の死もあっけなかったが、何もかも・・・な感じがする。
叔母の死の知らせも、実にあっけ無かった。
「亡くなりました。葬儀は終わりました」・・・だったのだから・・・
無常さ、というものをシミジミ感じている。
メンドクサイ母親だったが、あっけなく逝ってしまった。
ワタシに「メンドクサイ」を連発させながら、95くらいまではシブトク生きているんだろ〜な〜と思っていた。
父の時は、死後のアレコレが年明けても続いていて、兎に角大変だったから、今頃は、それどころではない、という感じだった。
今はただ、ワタシの家族親族友人知人同年配が次々と居なくなってしまい、なんだろう・・・ただただ心が定まらない。
母が嫌いだった。
ある友人のお母さんは、いつも本を読んでいて、テレビも「シルクロード」とか、教養番組を見る人だった。
友達のお母さんが皆良いお母さんに思えて、その分、ウチの母がイヤになった。
まあ「外面」が良いのは、皆さん共通かも知れないが・・・
私の母は、よく人をバカにする物言いをする人だった。
トンデモナイことで、当人は全く勉強をしない人だった。
教養番組など見てるのを見たことが無い。
本を読んでいるところを見たことが無い。
エラそうに威張っているくせに、だ。
そんな母がいやだったし、友人のお母さんが羨ましかった。
おそらく、自分はエラいと思い込んでいたから、向上心というものが無かったのかも知れない。
親戚で集まるといつも威張っていた。
母の上のお姉さんが亡くなったときには、通夜の席で、その姉の悪口ばかりを言っていた。
ボケ始めてはいたのもも、まったく失礼な人だ。
そういう母が嫌いだった。
ご詠歌の講員さんに指導する時も、練習はソコソコに、悪口大会になっていた。
ワタシが何か母に言うと・・・
「お前もエラくなったモンだな」
「親にそういうことを言うのか」
「生んでやった・・・」
・・・ということを言われ続けてきた。
「生んでやった」というバカなことを、平気で言える人だったのだ。
親として、最低の言葉、意識だと思う。
その言葉がどういうことか?、というようなことをも考えない人だった。
勉強しないから、ね。
外面は気取っていたが、兎に角、知性というものが感じられない人だった。
ワタシは自分の子供に対して「親だからエラい」という接し方は絶対にしないと思っていた。
この点で、母は、完全に「反面教師」以外のナニモノでもなかった。
母のように子供には接しない。
これが、ワタシの子育てのベースにあった。
孫に接するのも、ただ可愛がるだけで、それも度が過ぎていた。
注意しても、前述の言葉が返ってくるだけだった。
我が子が産まれてから、しばらく喧嘩が絶えなかった。
ある時、妻に、子供が聞いているからやめて欲しいといわれ、喧嘩はやめた。
もう何を言っても聞かないのだから、言うのをやめよう、と思った。
ストレスだった。
母の弔問に来る人、来る人が「いい人だった」というように話す。
積極的に外に出て、色々なことにリーダーシップを以て参加し、明るくて・・・というようなことを口々に言う。
そういう話しを聞いているうちに、母は皆さんが思うような人だった。
皆さんが思っている母の印象が、ホントの母だったのかも知れない。
少なくとも、家にいる、ワタシの母親としての印象は、ワタシだけのもの。
外面が良い、というレベルでは無く、良い人という印象が圧倒的多数。
さすれば、我が思いの方がヒネクレタ思いなのだろう、と。
まぁ、ワタシだって、外のワタシと妻や子が思うワタシとは違うだろう。
母の場合は、それが極端だった、ということにしよう。
皆さんが「いい人だった」と思って下さっているなら、それでいいだろう、と、思うことにした。
だから、イヤな母のことは思い出さないようにするのが良いのかもしれないな、という思いにもなっている。
そうなると、過去の嫌いは母のことは、ワタシの心にしまっておくような感じになって・・・
死んでしまった者をいつまでも恨んでいても仕方が無いだろうという思いもあって・・・
そうすると、ワタシのとっての母という存在は何だったのろうか?
・・・という事にもなる。
イヤな物を掃除しようとしたら、何も無くなってしまった・・・そんな感じ。
妻が来た時も、初めは「良い嫁だ」と言っていたが、その内、悪口を言っているようだった。
安易に同居、という形にしてしまって、妻には心底申し訳なく思っている。
あのころは、ワタシもクズ人間に毛が生えたような人間だったから、配慮が出来なかった。
当然、妻を苦しめていた。
良く頑張ってくれたと思う。
それがホントに申し訳ない。
感謝しか無い。
それまで、恋心を持った女性も何人か板荷・・いや、いたが「我が母親と上手くいく訳がない」という思いもあって、恋心は成就しなかった。
妻だけは「この人!」という思いを抱いてしまって・・・申し訳ないことをしたと思っている。
良い子供たちに恵まれたことが救いだと思っている。
人と付き合うことは、口が達者で、口からデマカセも得意だったし、話しを取り繕うのも上手く、そういうお付き合いは得意だったが・・・
根が良い人ではなかった、ということ。
ホント、妻には申し訳なかった・・・
しかし、晩年の母の施設には時々行ってくれていた。
職員さんに「お嫁さんですよ」と紹介されても、母にとっては「施設の人」になってしまっていた。
ワタシは、通院に連れ出す時も、つい苛ついてしまっていて、メンドクサイ親、というままだったが・・・
母は、ボケたことと、施設という環境の中で、穏やかに過ごしていたようだ。
「点つなぎ」と塗り絵をずっとやっていたようだ。
月に何冊も買って届けた。
そんな母を見ていれば、また、母への気持ちも変わったのかも知れない。
妻はそういう思いだったのだろうか。
亡くなった人がみんなあの世にいる・・・そんなイメージを持てるのは良いことだと思う。
あの世にて、佛様の心持ちになれて、在世中の己の間違いに気づいたら、せいぜい、ワタシと家族を見守ってくれ。
・・・そう思うよ、お母ちゃんよ〜。
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