母を送る・・・

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寺の葬儀は大変なことで、本堂をそのままで出来るのであれは簡単になるわけですが、それなりに荘厳(しょうごん)するとなると、葬儀社のお世話にならねばなりません。

そして、法要自体も、回りの寺院のお力が必要です。
準備も大変。

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駐車場の増設は、田舎の秘密兵器「鉄板」!
田んぼに鉄板を敷いて、駐車場確保。

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先頃、米寿まで生きたから、という記念に、とご寄付いただいた浄財で購入した経机が、初めて活用されます。

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お導師さまをお願いしたのが、ご詠歌の先生で、ウチの母も、ご詠歌講を支えていて、また、寺庭婦人の会でも頑張っていて、寺庭さんの参列も多いだろうから、みんなで唱えられるように、ご詠歌中心の法要にしようよ、と仰られて、実現した形です。

実際には、随喜で参列された僧侶の皆様もみな唱えられて、とても良い声がでていました。
ご詠歌と読経の声に包まれる感じを味わいました。
素晴らしい体験でした。
この「詠歌」の部分は、みな、祖父・尊憲師が作曲されたもので、良い曲ばかりだよな〜と思いつつ、それを皆さんが唱えられているのは嬉しい限り。

母は、20歳で嫁いできました。
それで、姑がいて・・・というのは大変だったでしょう。
しかも、身体が弱かった。
それから8年で、祖母が去ったあとは、1人で切り盛りしていたのでしょう。
祖父は、ご詠歌の師範として、全国を飛び歩き、寺にいることも少なかったそうで「葬儀ができたら法類の寺に頼め」と言って、出かけていたそうな。
その間、寺を護っているのは母でした。
その祖父も、4年後に遷化。
そこから父が継いだものの、父は病気と怪我の連続。
最大で1年入院していたときもありました。
そういうときは、寺に1人です。
その時、ワタシは中学生でした。

ご詠歌は、父はやらなかった(音痴気味だった)ので、母が、寺の支部を支えていました。

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寺庭婦人として50年を過ごしたとき、本山より「護法功労賞」をいただきました。
母の人生は、まさに、寺庭としてツッ走ってきた人生だったのでしょう。

ボケが酷くなって、施設に入って、突っ走りをやめて、ユックリ休み、安寧の日々を送っていたような感じだったとおもいます。


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