いつものヤツ。
・・あ、いや「昆布」のおにぎりが無かった・・・ので、ネギ味噌で。
本山の東京別院、真福寺にて、智山伝法院のボーサン向けの講座。
「大般若」のお勉強。
「音」的には簡単そうだから、これを分析してみっかボーズ。
正しい博士(はかせ・音譜)を研究していると、違った博士では唱えられなくなってきた。
・・・ので、鋭意、分析中。
「予定」には無かったが、せっかっくお勉強したので、忘れないうちに・・・
「やっ〜〜つけてオシマイ〜♡」(c.v.小原乃梨子さん)
・・・ということで。
よっしゃ〜、やるド!
・・・ということで、教典をコピーして、これまでの全然合っていない博士を消してコピー。
そこに、習ったばかりの音を録音を聴きながら探る。
声明(しょうみょう・節の付いたお経)は、大きく分けて2種類がある。
おおよそ鎌倉時代を境にして国産の声明曲が作られ始め、盛んになる。
各宗派そうである。
・・・というか、鎌倉時代に出来た宗派があるわけだ。
浄土系、日蓮系、禅宗系がそれで、特に浄土&日蓮は、祖師の書かれた者を読む。
論議は、もともとは生本番だったのだろうが、いずれの時にかシナリオ化して、そうなるとソコに節が付く。
おそらく「訛り」を消すために、京都のアクセントをつけたのではないか?・・・というのがワタクシの説。
語り物も、例えば祈願寺の祈願の文にそれぞれの特徴有る抑揚が付いているように、次第に節が付いた物と思える。
「四座講式」のように、ただただ語って行くものもある。
この「大般若」は、多くの宗派で行なっている。
天平9年(737)に大安寺の道慈律師が、朝廷に大般若経の転読を諸国の年中行事に加えることを願い出て許された事に始まる。
道慈の発願によって大般若経は日本全土に普及することになったが、その発端は大安寺増築の際に雷神が祀られていた木を切ったために落雷が頻発していたので、雷を鎮めるために大般若会を催したところ効果があった、という呪術的なものだった。
(Wiki先生)
曹洞宗でも、祈願として大般若を行なっている所が結構あるようだ。
導師作法のビデオを見たことがある。
印の結び方に違う概念が入っているて興味深いものだった。
ちなみに「大般若転読(てんどく)」という。
「転がして読む」というのは、その昔、教典が巻物だったことに由来する。
今は、蛇腹のお経を上から下にパラパラと落とすようにする。
まぁ「読んだことにする」というようなものだ。
昔々のその昔その昔には「真読」といって、多くのボーサンを集めて、全部読むという事もやっていたらしい。
奈良仏教の寺でも盛んに行なわれているようで、そういうのを全部チェックするもの面白いかも知れない。
この記事へのコメント