あれ、今まで和田誠さんが続いていたの?・・・というくらい『週刊文春』は見ていなかった。
表紙すら見ていなかった。
「文春砲」などと称されていい気になって、タレントの有る事無いこと無いことを暴き立てて正義を気取っている。
吐き気がするメディアだ。
『週刊朝日』は早々に撤退したのは仕方が無かったのかも知れない。
朝日新聞は嫌いな面も多いが、ニュースは良くも悪くも評価の基準には成ってる・・・そんな感じで見ていた。
昔の話し、だ。
近年、新聞は読んでいない。
ホントに成り下がった本だと思う。
メディアとして、最低だと思う。
かつて、本チャンの『文藝春秋』では、田中角栄のロッキード問題を暴くということをやってのけた。
そういう気骨のカメラも無い・・・いや、欠片も無い。
花田紀凱氏が編集長だった頃は結構マメに読んでいた。
ほぼ毎週買っていた。
氏の人脈だろうが、執筆陣が豊富かつバリエーション豊かで、書くことも、目の付け方も、色々参考になっていた。
多分、氏がやめてからしばらくして、紙面が変わって来て、買うのをやめたと思う。
ワタシが学生の頃、表紙が和田誠さんになったと記憶。
高校の頃から『話の特集』に掲載されていた和田誠さんの「倫敦巴里」が楽しかった。
・・・そう、当ブログのタイトルは、和田誠さん由来なのでした。
そう言えば『週刊新潮』の表紙も、創刊以来、谷内六郎さんが、若くして急逝されるまで続けてこられた。
そういう意味では並んでいる感じもあった。
新聞系週刊誌『週刊朝日』が左傾しているのとは違って『週刊新潮』は右寄りの印象があってね〜、実はあまり、というか、ほとんど読んでいない。
若い時には、左傾の方が面白く、若い時の印象がずっと引きづるのね。
『週刊文春』がどんどんゲスな内容になって行く一方で、亡くなられてからも和田誠さんの表紙を使い続けていたのは感心することでもある。
この記事へのコメント
kenji-s
タロウカジャ
ポスト、現代は明らかに高齢者を対象としたものになっているので新聞広告のヘッドラインだけで十分。最近は、電車で読んでいる方を見かけたことがありません。
文春と新潮もかっての切れ味がありませんせいぜい有名人のスキャンダル程度です。これでは読者がついてきません。
三日ボーズ
週刊『ポスト』『現代』については、追って書こうと思ってましたが・・・
バブルの頃、雑誌のスクラップアンドビルドが激しかった頃を思い出します。
ワタシもものすごく雑誌を読んでおりました。
雑誌を作れば広告が付いてくる、というような感じ。
プロのカメラマンも華やかな時代でした。
ネットの時代になったら、ワタシも新聞を読まなくなりましたが、情報は、文字には違いないものの、ネットの文字は別物のように思います。
月刊『文藝春秋』のようなものは、若者には受け入れられず、消えて行くような気がします。