佛様のお名前を書かせていただくことに、こんな事を言ってはイケマセン!!
折角の佛縁を拒否したくはないのですが・・・
「御朱印巡り」はそれほどのものではないだろ、という思いもあり・・・
「気持ち」も人それぞれだと思いつつも・・・
やはり・・・
ウチは、御朱印巡りには塩対応です、ということは、言っておきますね。
お断りはしないですが・・・
・・・いや、様子が見えて、お参りしていないのが分かっちゃったらお断りしてますが・・・
基本「書き置き」です。
ホントは、日付も入れたくないくらい。
こんな田舎の、札所の幟も掲げていない、何でも無い檀家寺に、そもそも御朱印は無い、と思っていただいきたいくらいですな〜。
何らかの札所になってるお寺のみ、と思っていただきたい。
昨今の御朱印ブームが、ブーム、というほどでは無い感じになってきたとは言え、だからこそ、ポツリ、ポツリ、とお見えになる方々が、メンドクサイ。
・・・とか、言ってはいけませんな・・・(^o^)
朝起きて、寺務所開いて、墨摺って「さて、今日も、お参り沢山いらっしゃるかなぁ〜」とかいう寺ならいいですが、ウチなど、その度に墨(墨滴)を硯に流して、洗って・・・という事になるので、兎に角「書き置き」の塩対応。
どういう経路でウチに来たのか分からない人が多い。
まあ、檀家さんだったりすることもあるから、お断りはしない、というくらいのスタンス。
御朱印ブームで、特に神社が勘違いして、イラスト描いたり、キレイな紙に書いたり、まぁ〜、色んなことをやってくれるし、お寺も、御朱印を勘違いしている所は多いですな〜。
神社とお寺をゴッチャにしてる人も多くて、その場合は、ひと言「これはやめて」と言っていましたが、最近は、ど〜でもよくなって来ました。
最近は、梵字を書くのをやめました。
梵字を書いちゃうと、それが佛様になっちゃうので、安易に書くモノでは無い、と。
そもそも、神社に御朱印は無かったでしょう。
「納経の証」ですから、ね。
「神社本庁」!のHPにも・・・
御朱印の起源―神社仏閣への写経奉納
神社参拝した証としていただく「御朱印」。
その起源は、奈良・平安の昔、神社仏閣に書写した経典を奉納した際にいただいた「納経受取(のうきょううけとり)の書付」ではないかといわれています「神社へ経典を奉納したの?」と思われる方もいるかもしれませんが、こうした例の代表に「平家納経」があります。
これは時の天下人・平清盛が神仏習合思想の影響をうけ、「厳島神社の御祭神は、十一面観音がお姿をお変えになったもの」と解釈して奉納したものといわれています。
こうした納経は徐々に一般にも広がり、社寺から「納経受取の書付」をいただいていたことが、やがて納経をせず参拝のみをした場合にも証明を書いてもらうというように変化していったものと考えられています。
地元「足利銀行」のHPに「栃木県でおすすめの御朱印10選!有名な神社やお寺を巡ってご利益に与ろう」
・・・なんて〜のがある。
おい、そ〜いう扱いはヤメロ
こういう感覚がよろしくない。
「ブーム」はこういうモノを生む。
ウチが抜けた関東八十八箇所などは、御朱印ブームを先取りしていたのかも知れないが、まぁ、ロクデモナイものだったから、いい。
前々から気に入らなかったが、千社札をベタベタ貼られて、キレて抜けた。
そもそも、歴史在る札所が対応するもので、ウチのような田舎の何でも無い檀家寺には関係の無い話し、で良いのだ。
千社札を貼る(=器物破損)を平気でできる輩の、曲がった信仰は要らん!
ただ、御朱印のために神社仏閣を回るのも・・・要らん。
この記事へのコメント
タロウカジャ
西国三十三寺だけ随分以前にお参りをさせて頂きました。
その折団体でお見えの皆さんの御朱印帳を添乗員と思しき方が一緒懸命ドライヤーで乾かしておられたのが印象的でした。
三日ボーズ
お寺が主催で札所巡りをすることもありますが、大人数は宜しくないですね〜。
田舎の檀家寺は、静かに過ごしたいと思いまする・・・
ひるのいこい
一方、西国は四国に比べ先達資格取得のハードルが低く、案内役であり作法や信仰の手本となるべき先達の「資質」の低下を懸念する声も上がっている。(中外日報)という声もありますので
三日ボーズ様の想いは皆抱いているようで…
日本百観音とか神仏霊場(152社寺)など回りますと もらう側 授与する側のいろいろな「カタチ」が見えて面白いです。
三日ボーズ
一々話しを聞いてみたい気もしますが、なかなか・・・