新橋駅から別院・真福寺の間にタミヤのショールームがある。
いつもは実車化したミニ四駆が置いてあるのが・・・
・・・なんと、6輪のタイレル!!
モノクロで撮っていたので、そのままでいいか・・・と思ったものの、やっぱからーじゃないとな〜、というワケで、RAW現像。
Tyrrell P34
『週刊朝日』に、ホンダF1のドキュメントが連載され興味を持ち、同時に中嶋悟参戦で見始めたF1の放送で「ティレル」と呼ぶのに、だいぶ違和感があったが・・・
やっぱりこれは「たいれる ふぉーど」だわ。
こんなことから、親日的イメージがある。
後に、中嶋悟、片山右京、高木虎之助らが乗ることになる。
そして、1997年には中嶋企画と提携し、中嶋がスポーティングディレクターとして運営に参加した。
この時、ケン・ティレルは中嶋を後継者にすることを考慮していたと言われている。
なんと、この「たいれる」は、タミヤの所有とな!
良いモン、持ってんなぁ〜〜(^o^)
この「たいれる」P34/3-2は、1976年の富士スピードウェイでのレース終了後にタミヤが購入したんだそうな。
この個体を参考にして、1/20スケールのグランプリコレクションの第1弾が、1976年モデルがタイレルP34シックスホイーラーとして登場。
それ以降も1977年の後期モデルも含めて、いくつかのGPレース仕様をモデルにグランプリコレクションとして販売されている。
F1カーで空力的に一番厄介なのが、丸出しのタイヤ。
そのフロントホイールを小径にすることで空気抵抗の低減を目指したものあったが・・・
小径タイヤによるタイヤ接地面積とブレーキ性能の減少に対しては、フロント4輪にすることで補ったわけだ。
後輪は大径のままだったし、期待したほど空気抵抗は低減しなかったと聞く。
でもまぁ、前輪の4輪化は制動力がアップして、コーナリング性能も向上したらしい。
1983年には車両規定が改正され「車輪は4輪まで」となった。
ケン・ティレルさんは、材木商という。
それで財を成して、自らF3レースに参加していたが、1960年にFJチーム「Tyrrell Racing Organization」を結成したことに始まる。
6輪も有名だが、今となってはスタンダード化しているハイノーズやアンヘドラル・ウイングなんてのもティレルが最初に取り入れていた。
サイドポンツーンの上にウイングを取り付けた「Xウイング」ねんて〜のもあったね〜。
今は、莫大なお金が無いとできないF1だが、この頃は、ティレルの規模で参戦ができた。
ウィリアムズだって、ちょっと前まではプラーベートチームと言って良いようなものだった。
古き良きF1・・・だ。
この車輌は、1976年に富士スピードウェイにおいて、日本で初めて開催されたF1世界選手権 in Japanで走ったもの。
この「たいれる」のドライバーは「どぱいえ」。もうひとりは「しえくた」。
この記事へのコメント
ひるのいこい
2026年からホンダが復帰しますが、
フェラーリとメルセデスによる ヨーロッパのお金持ちのための
F1(最近はオイルマネーか)に意味あるのか…なぁ。
三日ボーズ
ホンダも、やったりやめたりで気まぐれな感じになってしまって、なんだかな・・・ですね。