ここのところ困っているのが、所謂「直葬」という類いの依頼があることなのだが・・・
何が困るかというと「直葬」の定義が無い、ということだ。
定義が無いのは、家族葬も、そうだし、お墓の樹木葬も、そう。
直葬に関しては、実は、明確な定義があった。
これは、かつての『月刊SOGI』の碑文谷氏が名付けたと仰っていた。
宗教を入れずに、病院から葬儀社の安置室に置いて、そこから火葬場に直行するのを、揶揄するような意味で、皮肉を込めて、言ったのだということだ。
何年か前、氏の公演を聴いたのだが、そこで仰ってた。
東京では直葬が2割とも3割とも言われていた。
感覚的にであって、誰かが調べた物ではなかったろうが・・
それがいつしか、葬儀社が「葬儀プラン」として、HPやら、広告に載せるようになってしまった。
そうなると、言葉が一人歩きするのは「樹木葬」と同じ。
元々は定義があったことばが、ドンドン曖昧になってゆく。
この広告など、酷い物だ。
曰わく・・・
小さな火葬式、小さな一日葬、小さな家族葬、小さなお別れ葬、小さな一般葬・・・
「小さなお葬式」という会社だから、その名に絡めて作っている訳だが、こういう名前の「応用」が、よりメンドクサイ状況を生んでいる。
名前だけ見ると、何が何だか分からない。
こういう言葉を勝手に作られても困る。
やめろ!、と言いたい。
「小さな火葬式、小さな一日葬、小さな家族葬、小さなお別れ葬」の区別は何なのだ?!
「火葬式」というのも新しい言葉だ。
おそらく「直葬」というのが、身も蓋もない言葉なので、考えたのだろうが・・・
あれは「式」なのか?!
実は、直葬・火葬式の捉え方にも、葬儀屋によって異なり、対応にも一貫性が無い。
上の広告では「お付き添い、面会はできません」とある。
こういうものを、皆がこぞってHPに載せると、このような事が市民権を得たかのように思えて仕舞う。
しかし、コレには、寺の対応もあり、実にヤヤコシイことになる。
こういうやり方があるんだ・・・と思ってしまう。
こんなもの、誰も認めてはいないのだが・・・
葬儀社が推し進めているだけの話し。
これに対する寺の対応がメンドクサイことになってしまう。
直葬は、基本的に宗教を入れない、というものなのだが、施主サンが「こういうのもあるんだ〜、これでいいか」と選んでしまうが、これは、寺としては認められない。
そりゃそうだろう、宗教を入れないのだから。
まず、寺の境内、或いは寺が管理する墓地に埋葬することは、特殊な墓を除いて、できない。
おおよそ、そういう対応になると思う。
近年、この話しが来るようになったが「とにかく引導だけでもさせて欲しい」と言う。
ただし、会社によってはそれができない所もある。
安置室から出してお別れをしてから出棺→火葬場、と言う場合は、そのお別れの時間に5分加えてもらって、引導をする。
できれば10〜15分前から、引導と最小限の読経と焼香、というものを加えていただくが、それができない会社もある。
そういうことはできないプランです、と言い切る極めて会社もあった。
それだと原則として、寺の墓地には納骨できない、ということの説明はするのが義務だと思う。
それを広告やHPには明記して欲しい。
こういう場合の対応が会社によって違うというのが一番困るが「家族葬」以上に、言葉の定義もヘッタクレも無いのだからどうしようもない。
実は、お施主さんが理解できていないケースが多い
そりゃそうだ、定義が無く、葬儀社が勝手にやってることなのだから。
まず「直葬」が正規の葬儀の方法であるという誤解がある。
繰り返しになるが、我々の側で認められることではなく、葬儀社が勝手に推し進めているものだ、ということ。
だから、寺墓地には埋葬できない。
檀家さんであっても、である。
檀家さんなら、寺で葬儀をする、というのが約束事であるということ。
これが優先する。
これが普通である。
直葬は「葬」とあるが、葬儀でも何でも無い。
今の葬儀社のやり方では、それは葬儀では無い。
宗教が入るのを葬儀という。これが定義である。
であるから、葬儀プランにあっても、それは「葬儀」ではない、ということを認識されていないケースが多い。
「葬儀」というのは、宗派のやり方で引導など、宗教的な手法をする、読経をする・・・というような事だ。
これはお互いの「信心」による。
そういう信心が無いヒトタチが「直葬」をするのは構わない。
公共の墓地では、宗教には関係なく埋葬をできるし、中には、菩提寺で無くても、俗名のままでも永代供養の墓に入れることができる所もあるから、それならば直葬も可能、ということだ。
そういう大前提があっての直葬である。
そういうことを明記もせず、説明もせず、葬儀プランに載せるのは無責任極まりない。
とにかく、直葬というのは、そういう、場合に依ってはリスクにもなることをも含んでのことだということ。
これは認識しておいて欲しい。
一番の悪は、葬儀社だとしか言えない。
それを認めるような放送をするNHKなども、無責任としか言い様がない。
おそらく、キチンと調べては折らず、テキトーなコンサルタント氏の意見だけでやってるのだろう。
或いは、メディアに入り込んでいるソーカ関係とかが喧伝しているのかも知れない。
しかし、ソーカ関係だって、直葬は認められないだろうと思うから、違うのか?
「火葬式」とかいうのもやめて欲しい。
あんなの「式」でも何でも無い。
こういう「もっともらしく」装ってるデタラメが困るのだ。
そういうコースを選んだ施主さんが・・・
「なんだが寺がああだこうだ言ってきて、言うとおりにしたら、葬儀費用にえらく追加されたしまった」
・・・とかいう様になっては困るのだ。
結局「お布施は取られたし」とか、ね・・・。
数年前に「後見人さんに任せので」・・・と一緒に挨拶にきた方が100歳で亡くなられた。
永代供養の費用もいただいてはいたが、後見人氏から「火葬が終わったので、これからお骨を持って行きます」という電話がいきなり来て、程なく、お骨を持って来られた。
何とも事務的過ぎる。
おそらく、似たようなことを経験して「事前にお寺に言うと、事前に引導させろとか言い出すから、言わないで火葬してしまおう」という感じだった。
(個人の感想です)
寂しいはなしだ。
これには後日談もあって・・・
故人のお友達が施設を訪ねたら「亡くなりました」と言われ、慌ててお線香上げに来たという。
もしもの時には連絡をして下さいと言ってあったのに、後見人は無視だったよう。
故人から「自分が死んだらこれを柩に入れて欲しい」といって預かっていた着物もあったという。
ビジネスライクにも程がある。(個人の感想です)
この故人は、そこそこお金もあったらしいが、そういうのはどうなってしまうのだろう。
小学校の同級生の場合は、後見人とか頼んでる訳では無かったが、余ったお金は国庫に入ると聞いたのだが、さて・・・
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