↑こればっか〜(^^)
30日、葬儀を終えて多氣山へ寄る。
法螺貝が聞こえて、1時の護摩か・・・
お、ウチの副住職が経頭か・・(^^)
30日の1時の護摩に、5〜6人いただろうか?
結構、お参りの方がいらっしゃる。
晦日にお参りで、護摩とは・・・
・・・「幸先参り」ってか。
コロナ禍で、初詣を集中させないようにと、誰が言ったか「幸先参り」。
神社方面が言ったのだろうか?
・・・ま、どっちでも良いのだけれど・・・
これは、間違ってるんだと思う。
「立春」までにお参りすれば良いだけのことなのだ。
それなら、1ヶ月に散らばる。
だれも、ソコには気がつかなかったということか?
本来ならば、それを言うべきだったんだと思うよ。
ただ、それを言っちゃうと、現在の初詣の感覚が変わってしまう、ということなのかも知れない。
本来なら、占いは「立春」から、である。
来年が厄年とかいうのは、来年の立春からが本当なので、今のグレゴリオ暦での初詣は、占い的には旧年中。
お札も、旧年中に貰ってるということになる。
神社仏閣も、矛盾を抱えながらの「初詣」なのだ。
この辺が、旧暦と新暦でややこしくなっている。
節分と大晦日は同じだったのだ。
だから「鬼」という邪気を祓って新年を迎える。
ここが、実はチグハグになっているのだ。
何年かに一度「行く年来る年」で比叡山が写ることがあるが、そこでは「鬼追い」をやっている。
鬼を追いかけて、捕まえ、改心させるということ。
それを大晦日から元旦にかけてやってる。
本来は、ソコなんだろうけれど・・・ということ。
本来なら、大晦日→節分、である。
元旦の前日=大晦日=立春前日(節分)ということ。
「豆まきと鬼」は追儺(ついな)と言い、元々は宮中の大晦日の行事だった。
今も平安京内裏の南にある神泉苑では、大晦日に「歳徳神恵方廻し(方違え式)」というのがあって、祠を恵方に向ける。
毎年グルグル回しているのだ。
また、吉田神社の節分・追儺式では今も節分の年越しそばが食されているという。
イロイロ、チグハグ・・・
高野山など、お山の行事は旧暦でやってることが多いが、大晦日と元旦〜正月行事は、もうどうしようもない、ということで、新暦でやってる。
チグハグなのだ。
だから、既に幸先参りをやっていた、ということでもある。
それなら間違いじゃ無いじゃないか・・・ということなんだけれど・・・
元旦を初詣とするなら、それを前にやることは間違っているといえる。
元旦を迎えてからやる、ということにすべての正月行事は意味があり、前もってやって良いという物では無く、むしろ、やってはイケナイというものだ。
年賀状だって「元旦に見る」ということではない。
「元旦に書く」ということが重要だったのであって、見るのはいつでも良い。
それを、郵便局が根本的な間違いをやってしまった、ということ。
それで、郵便局は自分の首を絞めている、ということでもある。
いうなれば、年内に書いて良いものでは無かった。
書いてはイケナイ物だった・・・というか、元旦に書くべきものだったのだ。
元旦は「新年」。
続年ではない。
新しくなる。
新しい神様を迎えて、新しい年になる。
天皇陛下も、大晦日の夜は魂を入れ替える、という儀式をしていたのではなかったか?
だから、みんな新年で年を取る。
誕生日という概念は無かった。
生まれて1歳。
元旦が来て2歳。
それが「数え年」。
新しい年が、ゼロスタートになる。
だから、毎年同じ事を繰り返すのだ。
クリスマスが終わるや否や「恵方巻き」の幟旗がコンビニに立っているけれど、節分だから、あれも本来なら大晦日の行為だ。
・・もっとも「恵方巻き」には、確固たる歴史がある訳では無く、不明なものだが・・・
さて、その・・・
「最早どうしようもない」新暦の正月が来る。
「今年は67か・・・」と思いつつ、ホントの誕生日が来ると「68か・・・」とか思ってしまったりするから、まったりしていられない。
いよいよジジイだ。
嗚呼、ジジイだぁ〜。
しょ〜がね〜、ジジイだモン。
【カメラの話】
シグマfp+フォクトレンダー・ヘリヤー・クラシック50mm F1.5シングルコート
球面レンズのみで、開放だと色も画像も滲む。
モノクロ向きかも知れない。
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