桑原ゆう 個展 音の声、声の音 | Sounded Voice, Voiced Sound

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京都に行く用事と上手く重なったので、桑原さんの個展に行くことができた。

桑原ゆう 個展 音の声、声の音 | Sounded Voice, Voiced Sound

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なんと、譜面を展示するというもの。

譜面なんて、音譜が並んでいるだけで、それだけでは、意味ないじゃん〜、と思われる方も多いかと思いますが・・・

「淡座(あわいざ)」という音楽ユニットを主催している、という言い方で良いのだと思いますが、これはバイオリンとチェロと三味線で音楽を奏でるのです。

これだけで、バイオリンとチェロはまぁ普通として、じゃぁ、それと三味線の楽譜ってどうやって共存するの?!・・・と言う疑問。
その演奏も、虫の音を表現したり、風や自然の音を楽器で出すとか、素人が聴いても、普通の音の出し方ではないのですよ。
バイオリンとチェロと三味線の共存する譜面ってどういうの?!・・・という上に、その演奏の仕方って譜面にできるの?!・・・という疑問が生じます。

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前衛的、と言う言葉はもう古いのでしょう、殆ど見ない聞かない言葉になってしまった感がありますが、そんな雰囲気でもあります。
「現代音楽」という言い方でよいのでしょうか?

桑原さんの楽譜には、つたない音楽知識でも、見たことの無い音譜?が見えます。

会場のHPの〈展覧会情報〉に以下のような文言がありました。
これが正に的を射ていると思うので、ワタシのつたない知識では手に負えない分を、ここに勝手に掲載することで、読み取ってください。
→→ https://monadecontemporary.art-phil.com/?p=729

桑原はこれまで、音楽と言葉、音と声、記譜と演奏といった作曲における音、曲、書くことのかかわりについて思索を深めながら、音楽や歌が生まれる時間や空間を紡ぎ出してきました。作曲家にとって、楽譜はイメージとしてある音楽を現実の音にするために演奏家へと宛てられた手紙のようなものだといいます。

本展では、桑原にとって初めてとなる作品集CDが現代音楽レーベルKairos(ウィーン)よりリリースされたことを記念し、桑原独自の記譜法および記譜のイメージを視覚芸術の観点からとらえ、音と声のかかわりを不可視なものの描画、あるいはドローイングとして紹介します。仏教声楽である声明のための作品を中心とした楽譜を展示するとともに、長年にわたり活動してきたクリエイショングループ 淡座のメンバーによる生演奏パフォーマンスを行い、音や音楽が記譜や演奏という行為のなかで立ち上がるプロセスを共有することを試みます。

手紙のようなものとして描かれた楽譜が譜面として立ち現れるとき、音楽や歌となる音や声はどのように記され、現れることになるのでしょうか。見えるものと見えないもの、聴こえるものと聴こえないものとのあわいから起こる、大いなる音楽の出来事にご参加ください。


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もともとは、声明の法会でお目にかかったのが存じ上げるキッカケだったと記憶。
アチコチの法会でお目にかかってして、声明を研究しておられるということを知ったんだった。

そして、新たに声明曲を作曲され、それを聴いて驚いた。

それまで、声明と洋楽のコラボ、というのには、随分苦しめられてきた。
ほとんどが、まったくコラボになっていなくて、ほとんどい喧嘩しているようなものばかりだった。
それは、声明や邦楽への理解がなく、自分の知識だけで理解し得たと思っての洋楽の作曲家の独善的ゴーマン的なものばかりだった。
そのことは、当ブログにも大分書いてきたが・・・

桑原さんの曲は、まさに感動をいただきました。
声明に対する謙虚な姿勢と、それ故の理解度が高く、オリジナルの声明曲も、既存のもの?、と思ってしまうほどです。

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その楽譜にも驚いた。
こういう風に書かれているのか、と。
また、これを声にした主に豊山派の声明研究会の皆様にも感心しきり、でございます。

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ちょっと分かりにくいところでしたが、ナカナカに良いものでした。

CDもGETだゼ〜〜〜〜ット!


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