大学の同期生が亡くなった・・・
大学の同期生の訃報が届いた。
ナカナカ再会することが無かったが、訃報による再会というのが、悲しい。
今年になって、小学校の同級生の葬儀もあり、己のことを考える・・・
10月27日が、その大学の同期生の本葬儀で、千葉県匝瑳市まで車を走らせる。
3時間余。遠かった。
ナビ子チャンの案内は、成田空港を突っ切る道で、久し振りのに成田空港・・・を通過。
大学を終えて、最初の同窓会が銚子だったか、2度目が銚子だったか・・・?
それ以来の・・・対面。
貫禄が増していた。
職衆(しきしゅう・式衆)にも、近くの寺の同期生が入っていて、二臈席。
やはり、風格が出ている。
オレにも、あんな風格があるか?・・・と思う。
そのための「ひげ」じゃんか〜ってか。
管長猊下の弔辞の代読は、普通は地元の教区長が読んだりするが、今回のは、近所の、しかし、現在本山総務部長様である同期生が直々に持ってこられて代読、という感じになった。
偉くなってる同期生もいる。
まあ、世間では定年の年を過ぎたし、まぁ、そこそこ、いや、年寄りの部類。
ワクチン接種で65歳からが年寄りと言うことを知らされた。
そういう歳。
ご長男はお母さん似、次男くんはお父さん似、か。
彼らを見ていると、大学の時の故人のことが思い出される。
同時に、自分のことも思い出す。
紅二点の女性も来て、ますます懐かしい。
「松本クン〜」とか呼んでくる女性は他にはおらんですから。
帰り、私らの後から歩いてきた男を見て・・・見て・・見て驚いた。
「あ、クラシマ君くんだ〜」・・・同期生だった。
縦横に小さく童顔だった彼も、いい加減年寄りになっていた。
よくよく見れば面影があるし、背丈は変わって無いから、空間に捉える彼のイメージは同じ。
ただ、ジジイになっているだけ。
いや〜、懐かしい!
日曜日だからか、多分昨日の通夜に多くは来たのだろう、本葬の随喜の坊さんは少なく、同期生率が高かった?
久しぶりの再会が、こういうコトって〜のはなぁ〜〜〜と、誰かが言う。
海が近かった。
車でほぼ真っ直ぐに10分くらいか?
葬儀の後、海を見る。
海無し県には羨ましい。こんなに近くに太平洋。
これを見ながら彼も育ち、幾度となく足を運び、見つめたこともあったろう波濤に、我が思いを馳せる。
長男クンは学校を出て5年とか言ってたか?
ウチと変わらない。
庭で作務をしていて、熱中症のようになって倒れ、そのまま亡くなったという。
また20代の住職が生まれた。
近所にもいるのだけれど、大変だろう。
ウチだって、私が今死んだら同じようになる。
もうちょっと頑張って、副住職にスムーズにバトンを渡せるようにしなければ、と思う。
それも責任。
息子にとっても、檀家さんに対しても。
サーファーには良さそうな波が寄せていて、遠くの海面が鈍く輝いていた・・・
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