いつまでもあると思うな呂律茶屋
・・・いきなり分かんないタイトルで失礼しました。
京都・大原に早く着きそうだから、蕎麦でも食べるか、と思いつつ・・・
よしよし・・・とバスを降りると・・・目当ての「呂律茶屋」が完全に閉まってる。
お仕舞いですか・・・
そこで気落ちして、念のために買っておいたカロリーメイトとinゼリーの昼食。
カロリーメイトにノドやられた。
以前撮った「呂律茶屋」の写真が過去記事にありました。
「呂律」は「ろりつ」と入力するとATOKは『「ろれつ」の誤読」』と帰してきますが、どっちかというと「ろれつ」が間違い。
「呂・律」というのは、雅楽の音階の種類。
洋楽にメジャーとマイナーがあるのと同じようなもの。(対応しているワケではね〜です)
それを雅楽を練習する人が、口三味線の様に声で出して練習する時に、上手く歌い分けれらないのを「呂律が回らない」と称して、それが滑舌が悪いような話し方に使うようになって、読みも「ろりつ」が「ろれつ」になった。
「ろれつ」が回らなくて「ろりつ」が「ろれつ」になった。(^^)
「呂」の読みに二通りあって「ろ」か「りょ」。
私は「りょ」支持派ですが・・・「ろ」と言う人も多いようで。
だから「りょりつ」か「ろりつ」が正しいというわけです。
でも、前にこのお店で名前の読み方を聞いたら「ろりつ じゃや」と仰ってました。
どうして、ここにこの名前の店があるかといいますと・・・
大原・三千院を奥に登って行くと「音無の滝」という滝があります。
大原観光保勝会といううHPには・・
良忍上人はじめ、家寛(後白河法皇の声明の師)、湛智など代々の声明法師は、この滝に向かって声明の習礼をさされたという。初めは声明の声が滝の音に消されて聞こえず、稽古を重ねるに従って、滝の音と声明の声が和し、ついには滝の音が消えて、声明の声のみが朗々と聞こえるようになったと言う。それで音無の滝と名づけられたと言われている。
・・・とあります。
官公庁の「地域観光資源の多言語解説文データベース」という所には・・・
「音のしない滝」の意味である音無の滝として知られるこの滝は、来迎院から山道を少し入ったところにある。
地元の伝承では、この滝の名前の由来は、僧円仁が、近くの寺で行われている「声明」の邪魔をしないように静かになれ、と滝に命じたことからきている、とされている。
死後の「慈覚大師」の名前のほうがより広く知られている円仁は、838年から9年間にわたって中国に滞在したのちに帰国し、僧侶の宗教儀式のひとつとしての「声明」を自らの信徒に伝えた。
伝説によると、円仁は滝の下で声明を唱え、滝に呪文をかけて静かにさせたのだという。この逸話の別のバージョンでは、円仁は滝が流れてぶつかっていた下の岩を動かして、音が静かになるようにした、とされている。
この寺院はその後、1109年に聖応大師良忍(1072 -1132)によって修復されるまで使われていませんでした。もともと比叡山の僧侶であった良忍は、来迎院での「声明」の音律を復活させ、統一されたスタイルを考案する前に仏教の詠唱の7種類すべてを習得したと言われています。
広大な寺院の建物は1426年11月に火事で消失しました。現在の「本堂」は16世紀に建てられたものです。
このあたりの森はうっそうとしていて、昆虫から鳥類、大型動物まで、野生生物の宝庫である。この森は紅葉したときが特に魅力的である。
・・・とあり、結構違いますね〜。どっちや〜 (^^)
この音無の滝から二本の川が流れています。
それがそれぞれ呂川、律川と呼ばれています。
これも、川に沿って並んでいるお店に人に聞いたら「ろがわ」を仰ってましたから、ここでは「ろりつ」「ろがわ」が正しい、ということになりますね〜。
ちなみに「呂川・律川」をそれぞれ「りょせん・りっせん」と読み、字を当てると、雅楽の音階を示す「呂旋・律旋」になるということです。
大原にあるお寺の山号を「魚山」と言います。
これは、声明発祥の地という伝承を持つ、中国の「魚山」にならって、かつて当地が声明研鑽の道場という意味合いを持っていたときに、その中国の故事に習って付けられたものでしょう。
我が真言宗でも、声明のテキストに『魚山蠆芥集(ぎょさん たいかいしゅう)』という書物がありますから、魚山=声明という案配で、声明の代名詞的に使われていたようですね。
いかにも、声明の聖地というような感じになってます。
ここはまた「遁世の地」というようなもので、都の喧噪から遠く離れて、隠遁するのに良い場所だったようです。
「恋に疲れた女がひとり・・・」という歌詞も、そんな意味合いがあるのだと思います。
ちなみにちなみに、ストリートビューで見たら、2023年5月で「営業中」とあるも「呂律茶屋」の看板が無い。
オーナーが変わってやったけど、続かなかったってこと?
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