孤独なレース。
おおよそ、集団の中に入っていないとレースには勝てないと言って良い。
早くも集団から離れてしまった選手は、故障か、ペースが合わなかったのか。
チームメイトを引っ張るような役目を終えた選手もいる。
ペースを作る選手もいる。
レースが進むにつれ、先頭集団、メイン集団、第2集団・・・というような形になっていったりする。
これは一番先頭でレースの状況を伝える車。
ユーモラスに話しながら、手を振ってゆく。
選手の後は、メーカーやチームのサポートカーが走る。
そういう車にも応援し、手を振るから、車のドライバーとかも手を振って返す。
先頭も独り。
追いかける・・・
レース中盤で抜け出しても、そのまま勝てると言うことはほぼ無いと言っていい。
ましてや独りではどうしようもない。
これも何らかのチームの作戦なんだろうと思える。
集団が追う。
とにかく、走りきる、ということか、独り黙々と主を重ねる選手もいる。
お〜〜〜い、バカヤロがいた。(褒め言葉)
救急車が後ろにいるということは最後尾。
独りトップ。
それを追う。
古賀志山林道の頂上。
レース後半、この方向で撮ると逆光になって良い感じになるのです。
そう言えば、我が人生の「たられば」に、ちょっと「競輪」と言う項目があったんだった。
高校の同級生が卒業後、修善寺の競輪学校に行った。
折しも、萩原健一主演のテレビドラマ「祭りばやしが聞こえる」が放映されたりしていた。
これは、萩原健一が競輪選手として、アチコチ旅するドラマで、実はストーリーをあまり覚えています。
「前略おふくろ様」の次に主演したドラマだったか?
高校の友人は、その後、無事競輪選手となって、B級でレースに出ていたらしいが、詳しくは知らない。
我が母校・作新学院には珍しく自転車部があった。
当時は、多分競輪選手を目指す連中が入っていたんだと思う。
友人は、バス会社のストライキがあると、競輪用と思しき自転車で、競輪出で立ちでヘルメット被って通学してきた。
体力と運動神経のお化けのような男だったが・・・
それでB級?と思った。
子供の頃から自転車が好きで乗っていて、近所の人からよく「競輪選手になるのか?」と聞かれたものだ。
当時は、自転車というと競輪という道しか無かったように思う。
今思い返すと、市川崑監督の「東京オリンピック」の記録映画の自転車のロードレースが出ていたが、意識はしなかったよう。
競輪選手、ということもちょっと頭をよぎっていたが・・・それは、友人に任せることにした。
大学時代は、ロードレーサーに乗っていた。
高校でバイクの免許を取る者がいたが、大学で車の免許を取る者も少なかったか。
そのどちらも選択せず、大学出る時免許は取っていたが、通勤は自転車だった。
おまけに、昼飯は自転車で帰って家で食べていた。
今思うと良くできたものだ。
昼休み、小島電気でベータのビデオテープ買って、家に帰って、お昼食べて、ビデオセットして、会社に行っていた。
毎日、2往復してたワケだ。
体力はあったんだと思う。
その後、ちょっと乗らない時間があったが・・・
会社を辞めて独立した頃、仕事関係のお付き合いの中で、どういうワケか、自転車に乗る人が数名いて、一緒に走りを再開した。
結構、夢中で自転車に乗っていた。
鬼怒川土手にあるサイクリングコースを走り、今のジャパンカップのコースにもなってるあたりを中心に100km走るレースにも毎年出ていた。
そう言えば、そんな時があったんだった。
その後、70kmくらい走ると膝に強い痛みが出るようになって、長距離が走れなくなって、乗らなくなってしまった・・・
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