大正9年発刊の本。『魚山精義』。
今コレを読んでいるが、あ〜も〜読みにくい〜〜 (>_<)
徹底的に読み込んでみようと思って、変な使い方をしている漢字の読みや、あれこれをチャックしている。
とにかく、漢字の使い方がオカシイ。(昔は普通だった?)
A5の本をB5のルーズリーフの左側にコピーして、右側を白身にして書き込めるようにしている。
『智山聲明大典』の初版『新義聲明大典』が大正6年。
『魚山精義』がちょっと後に書かれたものの、ほぼ同時代と言える。
『新義聲明大典』は、智山派初代管長瑜伽教如猊下の教えを、弟子であった内山正如師が書いたもの。
『魚山精義』は、同じく弟子の上村教仁師が書かれたもの。
このどちらもが読みにくい。
嗚呼読みにくいったら読みにくい〜。
オレがバカだからか?
・・・とも思うが、それだけではないような感じ。
基本、漢語調の漢字仮名交じり文で、仮名をカタカナで書いている。
この時点で、頭おかしいんじゃないか?!、と思う。(個人の感想です)
この時の書き方の主流か?、というと、後に書くが、そうでは無い。
おそらく、この時点で、変な書き方だったんじゃなかろうか?(個人の感想です)
読んでいただこう、キチンと論じよう、という気持ちが感じられない、独善的な文章としか思えない。(個人の感想です)
句読点も無いのは、昔の漢語調の特徴として、それをそのまま、はいただけない。
これは手書きで版を作っているのか?、略字が多くて読みにくい。
こういう出版物に略字を使う意味がないし、そういう意識がまったく理解できない。
まあ、昔の人は読めるのだろうが、今となっては迷惑この上無い。
愚かとしか思えない。
巻頭には記述の凡例を右の様に書き、同じ人間が、左に返り点付きの漢文で載せる。
返り点付けるならなんで漢文?、漢語調漢字仮名交じりにしろや、と言いたくなるが、意識高く実力あるボーズのたしなみ自慢、ということか?
(個人の感想です)
下の『智山学報』の創刊号は大正3年。
漢語調もあるが、口語調もあったりして、読みやすい。
句読点もちゃんとしていて、文章になってる、という漢字・・いや、感じ。
キチンと読ませよう、読んでいただこう、という気持ちがこもっているように感じる。
こうなると『智山聲明大典』と『魚山精義』が時代遅れで、特段に読みにくい、という感じがするワケですよ。
当時でも、時代遅れだったのだと思う。
こういうのを見ると、日本語の表記が安定したのは、戦後ほどなくして今のような書き方になってからで、それまでは実に安定していなかったということが分かる。
漢字は中国の輸入。
それ以前にも、神代文字があったというが、それはアヤシイ。
話し言葉はあったはずだから、何らかの形でそれを記録するようなこともあったろう、とは想像の域。
歴史的には、中国語を流用する、という選択をした。
中国語としての漢字「山」を「サン・セン」と読めば中国語で、これを日本語の「やま」と同じだ、という感じで当てはめていったンだと思う。
音読みが中国語、訓読みが日本語。「サン」と読めば漢音で「セン」と読めば呉音。
現存する日本最古の書物である『古事記』では、一応漢文が基本になっているが、ちゃんとした漢文ではなく、日本語の並びによって漢文風に書かれている。
中国語として記述するほど、習熟していなかったということだろうか?
その中で、古語や固有名詞のように、漢文では代用しづらいものは一字一音表記としていて、歌謡は全て一字一音表記。
これは当て字。
やがて「峠」とか、魚の名前のような日本製の漢字=国字を作る。
輸入品から加工品という、日本人の得意分野。
日本語をそのまま表記しようとして、万葉仮名がつくられる。
これは完全な当て字。
表意文字としての漢字の意味と価値をまったく無視したもの。
これが、やがて平仮名になる。
一方で、中国語の本、代表は経典。その読み書きに使った略字からカタカナが生まれる。
平仮名片仮名ができて、平安時代には「漢字仮名交じり文」ができていたらしい。
貴族の男子は漢語を身につけるのが当たり前のようで、漢文で書いていただろうと思う。
ここで、女性の文学が花開く。
漢字仮名交じり文は、女性の文学に貢献したが、元々は、漢文を日本語として理解するための漢文訓読というやつで、これが、大正時代の件の本まで続いているわけだ。
僧侶たる者、漢文=中国語である経典を読み、理解するのは当たり前だろ、ということで、ボーズのスキルのひとつであったろう。
ならば、ボーズ同士なら、漢文でも、漢文訓読でも、OKだろ、というのが、例の本ということか?
平安時代の貴族がたしなみとして漢詩、漢語を操った様に、ボーズも常識的スキルで、それを披露するのは当たり前だろ的自慢的なことか?
「言文一致運動」は明治時代に起こった。
そこに至るまで、中国語を輸入品と加工品とで用いていたが、日本語をそのまま表現するものでは無く、いわゆる、文語体で、書く言葉と話す言葉の乖離があったが、明治になって、一部の文学者が口語に沿った口語文と呼ばれる文体を使い出す。
この文語体と口語体が、戦後まで混在していたが、戦後になって、日本語の書記言語を、東京方言をもとにした標準語に統一する政策が行われ、書く日本語が今のようになった。
逆に言うと、そこまで、言文不一致だったわけだ。
案外、今の日本語の表記の歴史って、浅かった、ということが分かる。
それまで、1000年以上、ジタバタしてたんだね〜、と思う。
基本的に、漢文の書き下し文で文語体。一部に漢文的書き方。
同じ時代、田邊尚雄氏の『日本音楽講話』という本があるが、文章は平易で読みやすい。
極めて「普通」であるわけです。
まあ、なんにしても、大正9年の時点で、こういう文章を書いているのが、おそらく古くさいし「普通」ではない悪文。
その時代に於いて、こういう書き方しか無かった、というワケでは無いのでありますよ。
加えて、そもそも文章が上手くない、ということですな。
読んでいると、そういうことが段々分かっても来る。
書いてあることは半分以上が間違いで、それを何をどう間違っているのか?、という検証をしているのでありますから、余計にイライラしてくるワケです。
読んでいただきたい、と言う意識が無さ過ぎる高飛車な文章という感じがしますな〜。(個人の感想です)
敢えて言おう、○スであると!・・・(個人の感想です)
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