いわゆる「たられば」ということを本気で考えることはないが、ちょっと精神状態が不安定で、つい、考えることがあった。
今、どういうワケか、マンガを読んでいる。
島本和彦さんの『アオイホノオ』というもの。
ついでに『燃えろペン』『吠えろペン』など一連の作品も読んでいる。
しばらく、ホントに20年くらいマンガの単行本を買っていなかったと思う。
それが、『アオイホノオ』は一気に読んだ。
Amazonで、2〜3冊づつ買って、ついに何と何との30巻であるのことよ。
どういう経過でここに至ったかは、忘れてしまった。
YouTubeをアレコレ見ていて、漫画家・島本和彦さんとその周辺が気になってアレコレ見ていて、これは読まねばならんか・・・と読み始めたんだった。
島本和彦氏も、庵野秀明氏も大阪芸大にいた、ということが気になっていたのだった。
実は私が大学進学を考えたとき、大正大学へ行くか、という選択の他にあったのが大阪芸大だった。
日大芸術学部もあったが、結構難しそうだし、歴史もあるし本気の人が行く感じがした。
その点・・・と言っては失礼だが、大阪芸大は確か学科試験が無かった様に記憶している。
ただ、大正大が20万位の入学金だったのに比して、大阪芸大は47万とかだったから、倍以上。
ワタシが考えたのは大阪芸大の映像計画学科。
庵野氏や島本氏と同じだ。
CF(コマーシャル・フィルム)に興味があった。
また、フィルムのドキュメンタリーにも興味があった。
写真も含めるとCMということになるが『コマーシャル・フォト』という雑誌をずっと愛読していたし『小型映画』という本も愛読していた。
父が買ってきた8ミリカメラで色々撮ってもいた。
また、日本テレビが夜中にやっていた「ドキュメント'○○(西暦下二桁)」が好きだったし「遠くへ行きたい」の初期のフィルムのものが好きだった。
そういうことで大阪芸大を考えていたのでありました。
2択です。
「跡継ぎ」は逃れられないこととして、そのタメには大正大学進学が望ましい。
さりとて、そうなれば「跡継ぎ一直線」となろう。
いやいや、跡継ぎは先の話なのだから、とりあえず行きたい道を模索して、その後、本山で1年頑張れば僧階を得られる専修学院に入れば良い。
このどちらを選ぶかで、結局、前者を選んでしまった。
これは挑戦する気持ちが勝ることなく、消極的な選択だったと言わざるを得ません。
「選んでしまった」・・・というのは、ここに「たられば」を考えたからですな。
ワタシが大正大に入ったのは、学籍番号で「77年」ということが分かります。
庵野氏、島本氏が入ったのは80年とのこと。
庵野氏はワタシより2歳下なので、一浪したのでしょうか?
つまり、ワタシが3回生の時に入学してきたということになります。
もしかしたらここで接点があったかも知れない、ということ。
でも・・・
3回生ということは、専門のコースに進んでいたであろうから、接点は無かったかも知れない。
特に、彼を一躍有名にした「DAICON Ⅲ」の時、ワタシは卒業していたかも知れないから、やっぱり接点はなかったか?
しかし「アオイホノオ」を読むに、何か創作をしたいと集まった連中ばかりがいる環境にあったら、自分も花開いた(^^)だろうか?
何か、良い道を見つけられただろうか?
庵野氏らがアニメを発表し、世良公則氏がライブをやっていた、そんな時代「そこ」にいたら、自分はどうなっていただろうか?
積極的に「先の見えない道を歩く」という選択を、あの時していたら・・・
『アオイホノオ』を読んだのは「ソコにいたかも知れない自分」というものへの思いだったということか。
これが、わたしの「たられば」でした。
・・・あ、大阪芸大へは、中学2・3年と高校2・3年と同級生だった男が行っていた。
ワタシも行っていたら彼と遊びほうけていたのかも知れない。
現実のワタシは、大学の近くに友人が住んでいたので、そこに入り浸っていたんだった。
大阪芸大に行った友人は、アニメとか特撮は好きだったが、庵野氏関係の話は聞かなかったから、興味が無かったのかも知れない。
学部も違っていたし。
『アオイホノオ』の主人公(≒島本和彦)は、入った時からアニメや特撮が大好きで、女性が下宿に来ても、一緒にヤマトや009を見てしまう男だったが、ワタシの生活もそんな感じだった。
折からのアニメブームに沸いていたし、ブームに乗ったアレコレが東京には数多あり、嬉しくて追いかけていたんだった。
それが楽しかった。
女性に対しては晩熟だったし、不器用でもあったし、バイトで会う女性くらいが話し相手。
それよりもアニメ見たり、絵を描いたり、何か創作をしていたような・・・
女性を追いかけてばかりの知人など見ていると、それで得るものはあるのかい?、と思っていた。
勉強なんかしてる場合じゃ無かった〜〜(^o^)
この記事へのコメント