秩父札所34観音【26番 円融寺 奥の院『岩井堂』へ】
前回の秩父詣でで行けなかった26番・円融寺の奥の院へは、昭和電工・・・の名前が変わったのか「株式会社レゾナック 秩父事業所」になってたのだけれど、この会社内を突っ切って行くので、守衛所で「札所です」と言って通過。
奥の院へ登る所に「琴平神社」がある。
この脇にも同様の階段があるようだが、コチラを登ってみる。
すでに、登山靴とストックは持参。
実は、こういう階段の登りが一番キツいのですよ。
奉納相撲の土俵がある立派な神社。
子狐がまとわりつく。
賽銭箱の鎖が悲しい。
これを運び出す者はいないと思うが、まあ、壊されても困るので付けているのだろう。
これが奥の院「岩井堂」〜!
大きな岩と舞台作りのロケーションがいい。
江戸時代には、円融寺がこの岩井堂の別当寺となり、管理をすることになっていたという。
ここの御本尊は、盗難や損傷を防ぐために円融寺に移しているんだそうな。
【カメラの話】
パナソニックG99+8-18mm
パナソニックG9Ⅱ+12-60mm
パナソニックは、やっぱり、緑色の出方が変。
ニコンZ 30には24mmを着けていたのだが、ニコンに12-28mmを着ければ良かった・・・
縁起によれば、この岩洞で弘法大師空海さんが秘法を行じていたところ、観音菩薩が現れ「ここは必ず霊場となろう。のちに一人の大徳が来て、我が姿を刻む出あろう」と告げ、雲に乗って飛び去った。
そこで空海さんは加持を行なって岩洞を封印して、この地を去った。
その後、恵心僧都源信が当山に至ったところ、洞窟から光明が射し出でて、観音菩薩が現れた。
観音菩薩が「大徳が来るのを長く待っていた。我が姿を写してこの地に安置せよ」と告げると、源信は拝し奉って、正確にその姿を刻み岩の上に安置した。
すると観音菩薩は大光明を放って像を照らし、たちまち姿を消した。
すぐに源信は里人に命じて堂宇を建立し、観音菩薩像を安置したという。
そして後にまた、秩父重弘が堂宇を再興し、大壇那となった。
真言の空海と、天台の源信という、なんとも贅沢な縁起だが・・・。
まあ、修験が関係しているようだから、そのへんの影響なのだろう。
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