『魚山余響略註』を読む


私のよく知る方が、長年の研究を一冊の本にまとめられた。

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著者御自身は、浄土真宗本願寺派(西本願寺)に属され、声明の研鑽のため、大原にある魚山声明研鑽会にて、魚山声明の研鑽に余念が無い方。

思えば、私が声明の研究を初めてから、ネットで見つけたのが「京都生まれの気ままな遁世僧【今様つれづれ草】」というブログで、これがこの著者のものだったのだ。

内容はもちろん浄土真宗の声明に関することだが大いに勉強になった。

藤波氏は「浄土真宗の声明の源流は大原流の天台声明にある」として、大原にて声明を学んでおられ、実践とともに、文章も素晴らしい。
その記述もよく調べられ、よく勉強されていることが伝わってくる良い内容だった。
また、掲載されている写真も良い写真だった。
写真も「タダモノではない」感が滲み出ていた。

その方と、どういう経路でFacebookの「お友達」になったのかは記憶に無い。
初めて直にお目にかかったのは、その研鑽会の法要でだったか?

Facebookにて、貴重な「友達」ができたので、バカにはできませぬゾ、SNS。

ブログの中で『魚山余響』という書物については、書かれていたので、それを元にまとめられたのが本書。

『魚山余響』とは、江戸時代後期に、知影という方が、声明を学ぶ中で得た情報の備忘録のような、日記のようなもの。
知影自身が声明を学ぶ上で身につけた知識、宗派の声明に関することが書かれているわけだが、それに留まらず、その時代、京都に於ける声明に関する様々な聞き書きがあり、我が方の千本釈迦堂の釈迦念仏に関する記述など、我が宗には伝わっていない情報であり、興味深い。

こういう本は、あまり無い。
声明に関する理論を書かれたものは多々あるが、ここにある伝聞の類いは貴重なものだ。
まさに、その時代の空気が記録されているような印象を受ける。
本願寺派の声明に関する記述は分からない部分もあるが、共通の認識もある。
また、変化する自宗の声明への気持ちなど、良く分かるものだ。

さて、この『魚山余響略註』・・・まず、その内容の濃さに驚いております。

『魚山余響』を著された知影という方が、自身が学ぶ声明に関する覚え書きのような、徒然なる記述をしたためたことがまず素晴らしいワケだが、そこに惹かれてその内容をつぶさに調べられた著者の労力の賜。
その努力と成果に圧倒される。
6年を要したそうな。
恐れ入ります。

『魚山余響略註』の著者・藤波氏が、正に『魚山余響』を著された知影にオーバーラップしてくるように感じる。
同様に声明を学び、自宗の声明の「変化」に憂慮する・・・

藤波氏自身が、知影さんと同じ心境・状況にあるのだな・・・と思う。


ところで・・・

この著者である藤波さんという方がどんな方かと言いますと・・・・

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↑この方、なのでありますね〜 (^o^)

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