渡良瀬遊水地と三県境と

ちょっと気になっていた「三県境」という所も、野田での葬儀の帰り道という感じではあったので・・・

道の駅「かぞわたらせ」へ。

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ここナビでは「道の駅きたかわべ」になってた。
2020年に変わったらしい。

以下、青字は板倉町のHPより

「三県境」とは、3つの県で構成される1か所の県境のことをいいます。 三県境は全国で40か所以上ありますが、そのほとんどが山の山頂、尾根や河川上にあり、気軽に歩いていける場所にはありません。
ここ群馬県板倉町、栃木県栃木市、埼玉県加須市の三県境は、全国で唯一といえる歩いて行ける平地に存在しています。そんな全国的に珍しい三県境へ、ぜひ足を運んでみませんか?


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以前の渡良瀬川は現在の栃木市と板倉町の行政界を流れ、その一部の河道は曲がりくねっていて「海老瀬の七曲がり」と呼ばれ、洪水の際に幾度も破堤していました。そのため、明治43年から着手された渡良瀬川の改修工事のなかで、その河道を現在の渡良瀬川の河道に変える工事が行われ、大正7年に通水しました。これにより「海老瀬の七曲がり」と呼ばれた河道は廃川となりました。

また、現在の加須市と板倉町の行政界を流れ、渡良瀬川の「海老瀬の七曲がり」に合流していた谷田川も、渡良瀬川の改修工事と併せ一部河道を変えることとなりました。これにより県境となっていた渡良瀬川の海老瀬七曲がりと谷田川の合流箇所は廃川となり、その後、渡良瀬遊水地の造成工事により発生した土砂で埋め立てられ、周辺は耕作地の整備が行われ、現在の平地にある「歩いて行ける三県境」となりました。
群馬県、栃木県、埼玉県の県境は、歩いて行ける三県境として全国でも珍しく注目も高まっていることから、栃木市、加須市と共同で遊歩道の整備をしました。全国に40か所以上あるといわれている三県境の中でも唯一平地に存在し、三歩で歩いて回れる三県境はここだけです。新しく整備された三県境へ、ぜひ足をお運びください。


渡良瀬遊水地に沿った県道を走っていると、ナビ子ちゃんが・・・
「栃木県に入りました」
「群馬県に入りました」
「埼玉県に入りました」
「群馬県に入りました」・・・と忙しい。

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暑っついな〜、と思いつつ、歩きます。
450mだったかな?

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こんな感じのトコ。

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ありました!

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以下、青字はWiki先生

栃木・群馬・埼玉の三県境(とちぎ・ぐんま・さいたまのさんけんざかい、-さんけんきょう)は栃木県・群馬県間、群馬県・埼玉県間、埼玉県・栃木県間の3本の県境が交わっている点であり、平地にある。

この三県境は渡良瀬遊水地の谷中湖の南西にあり、群馬県邑楽郡板倉町海老瀬、栃木県栃木市藤岡町下宮、埼玉県加須市小野袋がそれぞれ接している。

日本はその地理の特性上、県境がほとんどの場合山脈や河川に沿って引かれているため、陸上・河川上の3都府県境は当地を含め全国に40か所あるもののそれらは基本的に山、森林、川の中に存在する。しかし、この栃木・群馬・埼玉の三県境は周辺に民家も存在する平地にあり、特別な交通手段を用いずとも容易に訪れることができる点では全国唯一である。

また、この三県境から東南東に約2.4キロメートル離れた渡良瀬川上に茨城・栃木・埼玉の三県境がある。

この三県境の周囲の2市1町はここを平地の三県境と呼び、「歩いて行ける!!平地の三県境」として事業名の一部にもしている。
県境マニアはこの三県境を俗に柳生の三県境と呼んでいる。


「県境マニア」〜?!(^o^)

当初は三県境は渡良瀬川の上だった。
足尾鉱毒事件により渡良瀬川の流路が変更され、三県境のある場所は沼地になり、そして1970年代に約2メートル埋め立てられて水田になり、最終的に三県境の正確な位置はわからなくなってしまった。
調査されるまでは、用水路のY字路の部分が三県境だとみなされていた。


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2016年1月から、三県境に接する2市1町は各々の県や国土地理院から助言を受けながら協議・測量を行いはじめた。
Y字路を構成するU字溝を壊し、泥を取り除いたところ、1980年の圃場整備終了時に群馬県が設置した県境確認用の杭が発見された。
2月9日には2市1町が合同して、地権者立会いの下で、三県境を確認した。
確定した三県境には新たにコンクリート製の杭が打たれた。

この調査は住民からの要望を受けて栃木市が発案した。かかった費用は約130万円であり、三県境に接する2市1町が分担した。同年3月までに県境確定作業を終了し、同月31日、加須市北川辺スポーツ遊学館において栃木市・板倉町・加須市の3首長が「行政区域境界確認書」への調印式を行い、その後約400メートル離れている三県境に移動、設置された真鍮製の記念プレートが披露された。
栃木市長の鈴木俊美は「3市町の絆のシンボルとして、仲良く連携して事業に取り組みたい」と述べた。
4月1日より発効。真鍮製の記念プレートはコンクリート製の杭の上に取り付けられ、「三県境界」の文字と加須市、栃木市、板倉町の各自治体名と、経緯度が刻まれている


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●観光資源として●

栃木県側の地権者は1990年代半ばから自作の看板を立てたりノートを設置するなどしてPRを続けていた。
おおよそ2010年代からテレビ番組やインターネットなどで取り上げられるようになり、県境付近をまたいだり、手をついたり、記念撮影したりする見物客が現れはじめた。

2015年頃から訪れる人が多くなり、住民からも要望が出されたことから、栃木市の発案により三県境確定作業が行われた(前項参照)。
三県境の画定が報じられた2016年4月以降更に見物客が増え、2市1町は観光資源として三県境を活用しようと検討し始めた。
埼玉県加須市は、三県境と道の駅かぞわたらせの接続を計画している。
群馬県板倉町もこの地を町の名所として紹介、三県境を紹介する観光ビラを独自に制作している。
栃木県栃木市も、三県境と栃木県道・群馬県道・埼玉県道・茨城県道9号佐野古河線を合わせ、パワースポットとして売り出す考えを示した。

三県境確定に際し、栃木県側の地権者は「地域を売り出す一助にしてほしい」「北関東が有名になるきっかけになれば」と述べている。その一方で群馬県側の地権者は、区画整理で偶然に割り振られた土地であるとして、「賑やかにならない方がいいのだが」と戸惑っていた。

その後2016年秋から2市1町は「歩いて行ける!!平地の三県境〜関東三県の端から始める関東どまんなか連携事業」という事業名の元、地方創生加速化交付金を充てて地域の活性化を図っている。
実際に2017年2月3月には三県境と周辺の施設計四か所をめぐるスタンプラリーが行われた。
訪問する人が多くなったとはいえ、実態としては水田のあぜ道の先にその地点があるだけであった。
地元住民らが案内板を設置したものの、近隣施設や近隣住民に場所を尋ねる人も急増した。

訪問する人が増え、観光スポットして注目されるようになったことから、2市1町は地権者から周辺の土地を買い取り、水田のあぜ道を舗装して遊歩道を整備。
2018年4月7日に完成した。
整備に掛かった費用は約600万円で、費用の半額を2市1町で均等に割り、残りを人口比例で分担した。
栃木県側の地権者は「道がきれいになったので、これからも多くの人に来てもらいたい」と話している。


・2020年6月17日に栃木県側の地権者が設置したカメラ台が倒され、2市1町が設置した記念スタンプが紛失しているのが見物客によって発見された。
栃木市の担当者は栃木警察署の署員と現場を確認し、物損事故として交番に届け出た。
8月7日に加須市が2万円で新しいスタンプを用意し、盗難防止のワイヤーを付けた上で再設置した。
2021年8月17日、境界確定時に設置された3県境を示す金属プレートがなくなったことを栃木市が発表し、盗難の可能性を示唆した。
同年10月29日、福岡県の企業と栃木市の測量会社の協力により、同型の新しい金属プレートが再設置され、また防犯カメラも新設された。


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悲しいソーラー

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道の駅に戻って・・・・田中正造だと思ったら違った・・

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とりあえず・・・

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渡良瀬遊水地ごしに、向こうに見えるのは佐野の山。
その向こうは足尾・・・

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その悲しい歴史も「ハートの遊水地」だとよ〜(^o^)

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ま、いっか〜

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オマケ・・・






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