野田市での葬儀と、大正大埼玉校舎と・・・
9月4日、千葉県野田市のホールにて葬儀。
車で出張る。
「一番安いコースで・・」というのが喪主の方の希望だったらしいが・・・
いわゆる直葬のコースで、喪主の方と火葬場で待ち合わせて火葬所にはいるというやり方というので、それでは引導の時間が取れないから、火葬を先にして、寺に来て貰っての「骨葬」にするしかない・・・と言うと、葬儀式はやる、という方向に変更。
普通に葬儀・引導をして、火葬場へ。
それにしても、至る所に「家族葬」という看板が掲げられている。
以前、葬儀場を造るということが分かると反対運動がおきたものだったが「家族葬」というでかい文字の看板には違和感がないのか?
この定義のハッキリしない言葉が、一人歩きし、いつの間にか市民権を得たかのようになってる。
誰も、定義していないし、今も曖昧なままなのだけれど・・・ね。
かたや、こんな堂々とした仏壇屋さんがあったりする。
野田市のホール近辺は、副住職が大正大野球部の時に「よく飯食いに行ってた」所という。
だったら副住職に行って貰えば良かったか。
地図を見れば、野田市と大正大学埼玉校舎のある松伏は、川を挟んだ東と西、という感じ。
寄ってみたら車で10分程度だった。
いつのまにか、校舎一棟無くなっていた。
これが以前の写真。
手前の校舎が無くなっているのか。
相変わらずの「遺跡」感・・・・
そして、体育館も無くなっていた。
野球部員と思しき青年に聞いたら、ことしの春に壊したらしい。
これが在りし日の姿。
床が腐って使えなかったらしい。
校舎を壊した時に、なぜ、ここも平らにしなかったの?
まったく、大正大は、ここをどうするつもりよ??
ナビでも「大正大学 埼玉校舎」で出てくるし、バス停もある。
地図にも載ってる。
それが、この廃墟じゃね〜・・・ナサケナイでしょ。
巣鴨の校舎は、裕福さが滲み出ているというのに・・
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