先日、宇都宮佛教会主催の「宇都宮空襲 戦災殉難者追悼法要」の準備のため、理事長さん・会計さんと共に関係機関にご挨拶回り。
市役所のあたりを往ったり来たり。
夏は、その後も「灯ろう流し」がある。
「戦災殉難者追悼法要」の準備と同時に「灯ろう流し」も始まっている。
お盆に向けて、寺便りを作らなければならないし、寺の役員会もある。
その一方で、学びの時間もあり、今年度は智山伝法院の講座を4コマ受ける予定。
とりあえず申し込んで、内容を鑑みて減らすことになるかも知れない。
今、3コマ受講済み。
13日、初めて宇都宮佛教会の会長としての弔辞を読む。
宇都宮佛教会では、檀家さんの葬儀に際して、会へのご寄付をいただいた方に対して、会長が葬儀に出席して弔辞を読むことになっている。
短い弔辞なのだけれど、緊張する。
導師は臨済宗の方。
親子で勤められていた。
二人とも良い声が出ていて、最近年のせいか声が出なくなってるワタシとしては羨ましい。
以前、建長寺だったか?、大きな法要のお経を聴いたときに、和音になってるのに感心した。
今回もそう。
導師のお父さんは、声を張ると高くなる。
その音に対して、息子さんは3度くらいか?、チョット低い和音を出す。
それがキレイに決まっていた。
逆に息子さんが先に音を出す時は、ユニゾン(同じ音高)で揃っていた。
そういうことを何気なくやってる。
おそらく、そういう「文化」があって、それが身についている、ということなのだろうと思う。
ワタシも教区や宗派の集まりで、例えば般若心経などを斉唱するときに、ワザと音をズラして和音を出す練習をいしてる。
和音が決まると、途端に声に広がりが生まれて、自分が音に包まれている、という感じになるのだ。
和音は音に広がりを生み、ユニゾンは、音を強める。
我々は・・というか、日本の声楽は、言葉を重んじるからだろう、ユニゾンを基本とする。
以前、高野山のご詠歌の公演で、ご詠歌をハモっていた。
まあ、賛美歌のようになるのが気持ち悪い。
ウチの宗派でも、やってるが・・・やめて欲しいと思う。
「そういうこともできる」というのはまあ良いが、そういう方向に進むというのはやめて欲しい。
ユニゾンの文化を大切にするべきだと思っている。
【カメラの話】
パナソニック G9Ⅱ+15mm

この記事へのコメント