福島県いわき市の「いわき市芸術文化交流館・アリオス」にて、声明公演「螺旋曼荼羅海会(らせんまんだらかいえ)」を鑑賞。
2018年に新潟にての公演(第2回公演)が行なわれた。
声明公演「螺旋曼荼羅海会」
→ https://mikkabozu7676.seesaa.net/article/201812article_17.html
初演である、その名も「東京スパイラルホール」に行けなかったのが悔やまれる。
新潟の公演では、豊山派の今は亡き新井弘順先生が見事な講式節を歌われていた。
その部分がどうなるのか?・・・というのが一番の関心事。
以下、記憶を頼りに観想をば・・・
さて、僧侶4人が出て、客席に立つ。
ステージを北として一人、客席奥を南として一人、ステージ中程の左右にそれぞれ一人立ち、ステージ奥に別格的一人(仮に「式師」とする)が立ち、講式節で「風の歌」を歌う。
白と黄の二本のトウモロコシに、風の神が生命を吹き込んだとき、われわれ人間の最も古い祖先がつくられた。ナバホの創世神話にえがかれたその儀式を「風の歌」と「夜の歌」のテキストを用いて、声明の様式とで翻訳し、いまに再び立ち上げるような作曲を目指した。
・・・と、作曲者・桑原ゆうさんが、パンフレットに記している。
ナバホというのはアメリカインディアン。
(「アメリカインディアン」という言い方も変な言い方だね〜、コロンブスさんよ〜)
客席四隅に立った東西南北の僧侶に、式師が語りかける。
「我の指先の1本1本から風が起こる〜。初めに白い風〜」と歌うと、東の一人が声明の一節を唱える。
「次には赤い(色は記憶上不確か)風〜」というと・・・の繰り返しで、東西南北と声明が回ってゆく。
この式師を、前は新井弘順先生がされていた。
代わりはいるのかな?・・・と思っていたが、立派に・・・おられた。
驚いた。
なんか、こう言っては失礼かもしれないが、新井先生の唱え方を聴いているような感じがした。
リスペクトを感じたし「似せている、寄せている」と言っては失礼と思いつつ、感心していた。
重要な役を立派に勤めておられた。
鎌倉時代以降にできた「講式」の代表される声明曲には、初重(しょじゅう・低い音域)、二重(高い音域)、三重(高い音域)という音のグループで唱える形式がある。
この東西南北の僧侶の声明も、二重→初重→二重→三重→二重というように繰り返され、あたかも音が回って昇ってゆく印象がある。
これが「螺旋」ということだろう。
良く聞くと南北が天台声明で、東西が真言声明に聞こえた。
前の音を拾って次の音が続く感じ。
つまり天台→真言→天台→真言・・・というようになっていたと思う。
そう思ったら泣きそうになった。・・・いや、ちょっと泣いた。
おそらく、この観客のなかで、こんなところに涙を滲ませている者はおらんでしょう・・(^^)
桑原ゆうという作曲家が、よくぞそこまで声明を理解し作品にしたものだと思った。
これまで「コラボ」という名の不協和音に嫌気が差すことが多かったから、この音に感激した。
二つの流派の声明が見事に融合している。
異文化交流である。
本来、相交わらないものなのだ。
法要の形式に「四箇の法要」と「二箇法要」とがある。
我が智山派では「四箇法要」は消失してしまっているが、豊山派のは「常楽会(涅槃会)」で唱えられている。
高野山も同様。
唄(ばい)、散華(さんげ)、梵音(ぼんのん)、錫杖(しゃくじょう)という曲を唱える。
二箇法要は、このうちの「唄と散華」を唱える。
私は、かねてより唄と散華は、もとは天台声明で、その唱え方を真言流に変えたか、変化したか、というものであると思っている。
真言声明の節を見ていると、天台のが変化した物だということが分かる。
真言の方には、所々天台の名残のような音が残っているのだ。
だから、これは融合しやすいものだったのだ。
それを形にしてくださった。
こんなこと、我々では思いつかないし、できない。
この声のスパイラルは、いつの間にか「エ〜・ア・ア・ヘ〜・オ〜」というような言葉と言うか、音に変わって行く。
ナバホの言葉と言うことか?
その声が、ステージ上の僧侶との掛け合いのようにもなって、リズミカルであり、時に荘重になり、軽やかにもなる。
ここで伝統の声明が、作曲家・桑原ゆうさんの新作に取り込まれ、新たな展開となってゆく。
天台の「云何唄(うんがばい)」と散華、真言の云何唄と散華が唱えられる。
ここは、キチンと法要に則ったものだ。
後半は、ステージ上と客席の東西南北に全部の坊さんが並び、大人数にあり、スパイラルの効果が増す。
この前の新潟での公演は、ホールが大きく、その割に観客が少なくて、寂しい感じだったが、今回のホールはちょうど良かったという感じがした。
ベーリング海が地続きであった頃に、アジア大陸からアメリカ大陸に渡った、モンゴロイドの血を持つというアメリカ・インディアン、ナバホ族の
その創世神話の儀式の歌をボーサンが唱えながら、行道(ぎょうどう・堂内を歩く作法)する。
真ん中には太鼓がひとつ。
なんだか・・・アメリカのアニメーションに出てくる、焚き火の周りで和になって、手を口に当てて「ア ワ ワ ワ・・・」とやるインディアンの描写が頭に浮かんでしまった。
太鼓のリズムも、そんな原始的なというか、シンプルで民俗的な響きがあった。
最大の盛り上がり。
コスモスとカオスが往ったり来たりしている感じもする。
ただ、この部分、かなり仏教から離れてしまって、ボーサンが唱える意味があるのか?・・・という思いもよぎったが、全体を見れば、良かったのだとおもう。
お客さんにとっても、分かりやすく、気持ちが良かった所だったと思う。
遠くアメリカのインディアンと、モンゴロイドの血で繋がって、そこに日本の伝統的な祈りの音楽である声明とが融合する。
天台と真言の声明も融合する。
そして、古典と新作の融合。調和。
そういえば、ボーサンたちが持ってる次第本、逆にめくっていたから、横書きの桑原さんの譜面なんだな・・・と思った。
おっ、ウチじゃね〜か?!
なんでや?
・・・調べたら、地元の方だった。
ブレちった・・・(^^)
転んだ爺ちゃん大丈夫か?
草野心平さん。
構成・演出の田村博巳さんが仰っていたが、国立劇場ができて、こけら落としの公演に、声明が加えられたのが、いわゆる「声明公演」の嚆矢となった。
その公演に草野心平さんがいらっしゃって、その感激を新聞に寄稿された。
そして、間もなく「蛙の声明」というものを書かれた。
「蛙の声明」を聞いた記事です↓↓
https://mikkabozu7676.seesaa.net/article/201912article_1.html
草野心平さんは、いわき市の出身。
これもご縁。
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