ホンダコレクションホール【トライアル・マシン】

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友人たちは、多くが高校の時にバイクの免許を取っています。
ワタシが16歳になった時には、まだ、自動二輪は区別が無かったのですが、次の年くらいに限定になったんだったかと記憶。

学生の時も、免許は取らず、ただただ自転車の人だったのであります。
学生の頃から、友人たちは、集まればバイクの話をしていました。
タバコを吸いながら・・・
そんな中で、ワタシは、タバコもバイクも興味なしだったのです。
どういうひねくれ者なのでしょうか?(^^)

しかし、そのバイク好きの友人の一人が「トライアル」ということを語りだし、ハンターカブを買って、オフロードに向きます。
トライアルのビデオを見たとき、何故でしょう「コレだ!」と思ったワタシでした。
なにか、思い切りひかれる物があったのですね〜。

バイクの免許を持たないワタシは、車の免許で乗れる50ccのトライアルバイク、TLM50を発作的に買いに行きました。
そこからは、夢中でしたね〜。

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折しも世界ではエディ・ルジャーン選手がホンダのバイクに乗って画期的なライディングで世界を席巻していました。
また、世界を駈ける一匹狼・服部聖輝選手も世界戦で活躍。
日本では、山本昌也選手が勝ち抜いていました。
みんな本田のバイク。

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もっと古くは「バイアルスTL125」が、1973年発売。
バイアルスというのは、トライアル走行に適したバイクという意味から、BIKE+TRIALS=BIALSなんだとか。
この辺の時代は分からないが、これがトライアル車の始まり。
このあたりから川崎・鈴木・山葉のトライアルバイクを出すようになった。

本田の中では「モーターレクリエーション推進本部」というのができたのがこの頃で、三重県の鈴鹿サーキットなど全国20か所以上に「Honda バイアルスパーク」を設置。
トライアル走行を楽しむための障害物(丸太や岩場、段差など)が用意された“乗る場所”を提供する。
そこで講師によるトライアルスクールが行われたり、競技大会も開催されるようになった。

そのSSDT(スコティッシュ6日間トライアル)に、1973年はTL125で西山俊樹、万沢安夫(現・万澤安央)、成田省造の3人がチャレンジ。
3人とも見事完走して、入賞を果たしたのだった。

こういうニュースもあり、そこそこの「ブーム」になったのだろう。

ワタシ的にはルジャーンからだな〜。

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そんな思い出が脳内を一気に駆け巡ります。

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1984年、全日本チャンピオン山本昌也選手のRS250T・・だったか?

Hondaのモーターレク講師だった万澤と成田は、SSDTに出場した経験と感動から、日本版SSDTをめざし、1977年に「第1回イーハトーブ2日間トライアル大会」を開催。
岩手県の自然の中、山から海へと岩手県を横断し、2日間かけて往復する大会だった。

これに合わせるように、本田はバイアルス125を「イーハトーブTL125S」として出した。
ブームになったはイイが「始めてみたらトライアルは難しい」ということを知って、ブームが冷めかけた時の「イーハトーブ」というワケだ。

バイク好きの友人O君が、イーハトーブを「いいな〜」と言って見ていたのを覚えている。

1983年に、本田は、新しくしたTL125とともに、TLR200(4ストローク空冷/ツインショック)を出した。
このTLR200が爆発的なブームになった。

バイク好きの友人O君は、このTLR200を買った。

これは良いバイクだった。
友人が買って乗っていたのをしばらく「乗っていいよ」というので車庫に預かる代わりに乗っていた。
良い位置に重い4ストエンジンがあり、バイクの車高も重心も低く、バランスが良いバイクだった。
4スト故に低速でエンストし易く、アクセルとクラッチワークが難しかった。
大会で見ていると、4ストは山葉の2ストマシン・TY250と比べて、滑りやすい土の上とかのグリップが全然違って良かった。

エディ・ルジャーンは、きっと「重いバイク」が良かったんじゃないか?と思う。
彼は、1本サスになってから衰えていった感じがある。
それと同時に、みんなもルジャーンのような乗り方をマスターしていったということもあろうか。

TLR200に乗ると、何か、ルジャーンになったかのような思いになれた。
ルジャーンのマシンの感じに似ているな、と思えたんだった。

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ワークスマシンの、このマフラーの「手作り感」がタマランですな〜。

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独特の攻撃方トライアルと言われた乗り方は、天才的という感じだった。

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ベルギーのエディ・ルジャーン選手のRS360T。
360ccですよっ!
でも、この重いバイクのバランスが良かったんだと思います。
そういう乗り方だった。
細身でスラッとした長身。
サングラスっぽい眼鏡をかけているのも他にいない。
インテリっぽい印象もあった。
手が長く、幅のあるハンドルで操る印象。
力尽くではない、という感じ。
特に反動でバイクを「バック」されるライディングが驚異的だった。

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日本のトライアル界における「ルジャーン・ショック」という。
子供の頃から自転車のトライアルをやっていた、というので、みんな乗り始めた。
ワタシも乗った。(^^)

ジャックナイフとか、フロントホップとかは、確かに自転車をやって身についたように思う。

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ホンダは、スペインのモンテッサを買収して、ヨーロッパでは「モンテッサ・ホンダ」としてトライアルをやっている。

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世界戦に挑戦した元白バイ警官・黒山一郎さんが、一緒に連れて行ったケンイチ君が、父親の戦いの合間に自転車トライアルに出て、年齢別トップになってしまった。
帰国の後、自転車トライアルのチーム・ブラック団を結成。
世界に挑戦した。

子供たちはそのままバイクのトライアルに進み、その中の藤波貴久クンがワールドチャンピオンとなり、黒山さんの夢、いや、みんなの夢は結実する。

今は、引退して、チーム・モンテッサ・ホンダの監督をやっている。

子供たちは、ほぼスペイン人なんだろな・・・



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