茂木町と柚
ツインリンクでサイクロンを見た帰り、茂木町の道の駅に寄って、何か食べようと思って、思い出した「ゆず塩ラーメン」。
どなたかから、自分で作るゆず塩ラーメンをいただいたことがあって、これが美味しかった。
結構、というか、かなり人気らしいが、11時半ごろだったので余裕で食べられた。
ご覧のように油は普通のラーメンの様に浮いているが、とにかくさっぱりしている。
ご覧のように賞をいただいているらしい。
そこで思い出したのは、以前、というか、それはそれはかなり昔々・・・
おそらく30年弱の昔・・・
ある会社が作った雑誌が頓挫しそうだということで、編集の再構築みたいなことをやった時に取材した「ゆずの里」というのが、いま、どうなっているのだろう?・・・と思い立って、記憶を頼りに行ってみた。
途中で、こんなに奥まっていたかな?・・・なかなか着かないのでナビ子チャンに聞いたら、もっと奥だった。
オーナーに取材をしたのはワタシを編集に誘ってくれた方で、ワタシは写真を撮りに行っただけ。
当時、確かゆず農家だった人が、柚の木の「オーナー制度」を作って「ゆずの里、かおり村」というのを作った。
つくったばかりの時だった。
それが、いきなり30年くらい経っての訪問。
印象は変わりすぎていた。
ワタシが取材した後も、色々頑張ってたんだな〜ということは分かる。
いまは、オーナー制の柚の木がどれだったかも分からないようになっていて、業務が継続しているかも分からないくらいになっていた。
とても印象に残っていたのが、谷あいの沢伝いに遊歩道を作って、途中に「ナントカ岩」みたいなものを「自分で作っている」ということ。
もう何も読めなくなってしまったが、ここに「ナントカ岩」の「由来、言い伝え」が書かれていた。
取材した相方は「変わりモンのおやじ」と言っていたが、勝手に名前を付けて、その由来もその「おやじ」が「作った」ものだ。
これも「言ってしまったもん勝ち」で、若しかしたら、孫の世代になっら、ホントのことになってるかも知れない。
「伝承」とは、案外こうやってつくられるのかもしれないなぁ・・・と、我が人生において、結構衝撃的なことで、印象に残っていたのだ。
かつて、我が宗派の頭脳集団「智山伝法院」が「伝統の創造」というおバカと思える方針を掲げたとき、ここの「おやじ」さんのこの行動が思い出された。
誰かが今つくったことが、伝統になる、ということもあり得る、ということ。
ワタシが写真の取材をした時には、まだ切り開いたばかりの時だったが、その後も開発は進んで、しかし、今はこうなってしまった・・・
これを造った「おやじ」も年を取ったであろう。
もしかしたら、ご存命かどうか・というところ。
年を取って力も無くなって、元気も無くなって、次第に尻つぼみになってしまったのかもしれない。
跡継ぎが無かったのかもしれない。
詳しい事情は分からないから、勝手なことは言えないが・・・
名前も見えなくなっているが、こういう「柚の木のオーナー」だって、年を取る。
出かけられなくなってしまうこともあろう。
お墓の継承のようにできれば良いが、できなくなってしまったり、もあろう。
柚は実っている。
もともとは「八溝柚」というものだったのか。
茂木方面に行く時に、必ずと言って良いほど思い出すものだったが、やはり30年の年月を感じるだけだったか・・・
余程儲かるようなものでないと、例えば後継者が継いで行くというようなことも難しく、一代限りの思いつきで終わってしまうのかも知れない。
オーナー制度というようなものも、同様。
余程のメリットが無いと、継続は難しいということか・・・
この記事へのコメント
007
跡継ぎもいないので自然消滅ですね、残るは二軒の温泉地となるようです、。
サミシイ感じですが、自分自身も後どれ程生きるか分からないので、、、。
・・・今を生きる、、、ですね。。。
三日ボーズ
また、継続していたものが途絶えてしまうということも致し方ないものか、とも思います。
ひるのいこい
三日ボーズ
田舎にあって生活を支えていた雑貨屋さんとかが車の普及でなくなって、大型店がやってきて商店街も無くなりそうになって、小さな店舗で景気が良いのは食べ物屋さんぐらいでしょうか?
でも、これも水物だし・・
仕事内容に後を継ぐ必然性があるか、継ぐ気になれるような収入があるか、とか、個人事業は難しいですね〜。