遠雷・・
遠い雷だったが、大きなカミナリだった。
真下の皆様は大変だったろう。
宇都宮を誰かが「雷都(らいと)」と呼んでいる。
我々は、雷様を(らいさま)と呼んでいる。
ウチの近くの神社も雷電神社という。
宇都宮は、関東地方の気象庁観測点では突出して雷日数が多いんだそうな。
紀元前後あたりから仏像が造られるようになった。
それは大乗仏教が興るのと同時期と言える。
大乗仏教は、お釈迦様は人間だった、と言う点が強調される。
人間だったお釈迦様が仏陀に成られたのだ。
我々だって仏陀に成れるのではないか?・・・というのが大乗仏教。
だから、偶像としての仏像が造られた。
最初に造られのたは当然お釈迦様だったが、間もなく両脇に侍者を置く「三尊形式」ができる。
向かって右に梵天、左に帝釈天。
梵天は蓮を持ち、帝釈天は金剛杵を持つ。
帝釈天は、インドの古いベーダの時代に登場した色々な紙の中でも最強の神「インドラ」の漢訳。
「金剛」とは、硬い物という意味。ダイヤモンド。金剛石とも言う。
いかなるものにも傷付けられない硬い物。
これは、もともとは「バジュラ」の訳で「雷」のこと。
武器としての雷、でもある。
最強の神が、雷を象徴した金剛杵を手にしているということだ。
インド神話において使われた武器は、神と共に仏教に取り込まれ、精神的な意味あいに転換される。
すなわち「煩悩を砕く武器」という意味合いになる。
金剛杵というものは、心の中の煩悩を打ち砕く武器であり、それはもっとも尊いお釈迦様の「智慧」を現す物、となる。
梵天の持つ「蓮華」は、佛様の「慈悲」を表している。
大和言葉の「いなずま」もしくは「いなづま」(歴史的仮名遣いは「いなづま」。
ただし「いなづま」は現代仮名遣いでも許容されている)の語源は、稲が開花し結実する旧暦(太陰暦)の夏から秋のはじめにかけて雨に伴い雷がよく発生し、稲穂は雷に感光することで実る、という信仰が生まれ、雷を稲と関連付けて 「稲の『つま(=配偶者)』」と解し、「稲妻」(いなづま)、あるいは「稲光」(いなびかり)などと呼ぶようになったといわれている。
大和言葉「かみなり」の語源は、昔、雷は神が鳴らすもの、と信じられていて「神鳴り」と呼ばれたため。
【Wiki先生】
群馬県邑楽郡板倉町板倉にある雷電神社は、主に関東地方に点在する「雷電神社」「雷電社」の事実上の総本社格という。
現在の主祭神は、火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)、大雷大神(おおいかづちのおおかみ)、別雷大神(わけいかづちのおおかみ)の三柱。
茨城県水戸市の別雷皇太神、同県つくば市の金村別雷神社と並ぶ関東三雷神の1社とされる
自然崇拝の日本の神様では、当然、これだけ強力な自然現象は「神」となる。
神として祀って、荒々しい力を、破壊では無く、恵みに変えて欲しいと願う。
雨は勿論、恵みの雨。
そして、空気中の窒素割合は80%あり、ここに「雷=電気」が流れると、窒素酸化物になり、これが雨に溶けて降り注ぐ事で作物の肥料になるんだとか。
「雷ひと光で一寸伸びる」とか言うらしい。
雷の多い年は豊作だ、と聞いたことがある。
そもそも夏の雷というのは、強い太陽の光で地表が温められることによって、大きな上昇気流が発生し、積乱雲が作られることで、雷が発生し、多くの雨が降る。
雷が発生する条件に・・・「稲にとって十分な日照・気温・降水」があるということだ。
ニッポンは、いい〜国だなぁ〜〜
【カメラの話】
オリンパス E-M1マークⅡ+12-40mm
ISO100 f22(最初の1枚だけf11)
30秒露出にして、シャッターが切れたら押す、切れたら押すの繰り返し
この記事へのコメント
007
デジタル撮影ならば容易ですね、、、
オリンパス機は便利なようですね。。。i
三日ボーズ
まぁ夜は何でも良いのですが、レンズが問題で、ミラーレス用は、距離枠が無いレンズが殆どで、簡単に無限が出ないのが困りもの。
その点、オリンパスのレンズは、距離枠をスライドすると距離枠が出てマニュアルフォーカスになるのが便利です。