釜蓋朔日
栃木県の公式HPには、下のように書かれています。
8月1日は、釜蓋朔日(かまぶたのついたち)と呼んで、地獄の釜の蓋が開く日とされています。
地獄とは「あの世」。
地獄の釜の蓋を開けるように命じるのは、閻魔大王です。
お盆には、あの世からご先祖様が帰って来ます。
でも、あの世からの道は遠くて、8月1日に出発しなければ、お盆に間に合いません。
ご先祖様たちは、その日を待ちかねたように釜の蓋から飛び出します。
那須地方には、古くからご先祖様を迎えるための行事の一つとして、8月1日に釜の蓋が開いたことを喜び、たんさんまんじゅうを作っており、それを笹の葉を敷いてお供えし、自分たちもまんじゅうを食べるという風習があります。
これが、「釜の蓋まんじゅう」です。
おいおい・・・「ご先祖様たちは、その日を待ちかねたように釜の蓋から飛び出します」ぢゃね〜よ〜(^^)
それじゃあ、ご先祖が地獄にいるって〜ことになっちまうべ〜〜(^o^)
・・・でも、県北の人たち、だいたいそう言うわな〜(^^)
日本大百科全書(ニッポニカ)「釜蓋朔日」の解説
旧暦7月1日の異名。関東の諸地でいう。お釜の口明けという地方もある。
この日は盆の魂祭りの始まりにあたり、精霊(しょうろう)様が家々に向かって出発するという考えから、地獄の釜の蓋のあく日と、おかしくよび始めたのであろう。
ナス畑やイモ畑に行って、地面に耳をつけて聞くと、地獄の釜の蓋があく音がするとも、精霊が旅立つ日なので、その叫び声が聞こえるなどという。
釜蓋餅(もち)といって餅を搗(つ)いたり、焼き餅をこしらえて食う所もあるが、単に名称だけを記憶している場合が多い。
2月1日を乙子(おとご)の朔日、6月1日をムケの朔日、8月1日を八朔(はっさく)ついたち、12月1日を川渡り朔日など異名が多い。
[井之口章次]
「お話歳時記」というHP・・・
関東から中部地方にかけては、七月一日を「釜蓋朔日」「釜蓋あき」「釜の口あけ」などと言い、この日を盆の始まりとします。
この日は地獄の釜のふたがあいて精霊が出てくる日とされていました。 昔の人は、地獄は非常に遠いので、先祖の精霊が家に帰るためには、早く地獄を出発しないと間に合わないと考えたのです。
この日に畑に行って地面に耳をつけると、地獄の釜のふたが開く音がするとか、亡霊の叫び声が聞こえるなどと言って、急いで盆の準備をします。
小麦粉で団子を作ったり、釜蓋餅という餅を作ったり、新盆の家では高灯籠を立てたりします。
高く立てれば立てるほどよいと言われていて、十メートル以上もあるさおを立てて提灯をつるします。高いところに登って火を燃やしたり松明を振ったりする代わりに、高灯籠をつるすようになったようです。
また、精霊を迎えるために、墓までの道などをあらかじめ掃除し、草を刈って、先祖様の通り道を作ります。このことを「盆路作り(ぼんみちつくり)」「朔日路(ついたちみち)」「刈り路作り(かりみちづくり)」などと言います。
十二月の煤払いと同じように、「盆煤掃き(ぼんすすはき)」と言って墓の掃除をするのがならわしです。
どうしても、ご先祖様を地獄に堕としたいらしい・・・(^^)
地獄の釜から出てくるのは魑魅魍魎。
だから、盆月は、魑魅魍魎もその辺にウロウロしている。
それらが、ご先祖様のお供物を食べに来る。
それを「シッシッ」としちゃうと、その「けちんぼの心」が、自分を餓鬼道に堕とすことになる。
その中に餓鬼もいる。
餓鬼が食べに来るが、餓鬼は喉が細くて大きな物は食べられず、吐く息が炎になって食べ物が燃えてしまう。
喉が細いから、野菜などを細かくサイの目に切って、皿(蓮の葉、それに見立てた里芋の葉)に盛って、燃えないように水をかけてあげる。
そう「水の子」である。
水の子は「施餓鬼」なのだ。
一方で不空訳『救抜焔口陀羅尼経』というものに、以下のような記述がある。
お釈迦様の十大弟子のひとりに、多聞第一と称される阿難尊者という方がいらっしゃった。
ある日、阿難さんが静かな場所で坐禅瞑想していると、焔口(えんく)という餓鬼が現れた。
痩せ衰えて喉は細く口から火を吐き、髪は乱れ目は奥で光る醜い餓鬼であった。
その餓鬼が阿難に向かって「お前は三日後に死んで、私のように醜い餓鬼に生まれ変わるだろう」と言った。
驚いた阿難さんが、どうしたらその苦難を逃れられるかと餓鬼に聞いたら・・・
「それにはわれら餓鬼道において苦しんでいる者や、あらゆる困苦の衆生に対して飲食を施し、仏・法・僧の三宝を供養すれば、お前の寿命はのび、私も苦難を脱することができるだろう」と言った。
しかしそのような施しをする金銭がない阿難は、どうしたもんか、と、お釈迦様に助けを求めた。
するとお釈迦様は・・・
「観世音菩薩の秘呪というものがある。それは一器の食物を供え、この加持飲食陀羅尼(かじおんじきだらに)」を唱えて加持すれば、その食べ物は無量の食物となり、一切の餓鬼は充分に空腹を満たされるだろう。無量無数の苦難を救い、施主は寿命が延長し、その功徳により仏道を証得することができるだろう」
とおっしゃった。
阿難尊者が早速その通りにすると、阿難尊者は、3日どころか大変長生きされた、そう〜な。めでたし、めでたし・・・。
もうひとつ「盂蘭盆経」には次のような記述がある。
やはり、お釈迦様の十大弟子の1人、神通第一と称される目連尊者という方が、神通力により亡き母の行方を探すと、餓鬼道に落ち、肉は痩せ衰え骨ばかりで地獄のような苦しみを得ていた。
目連尊者は、神通力で母を供養しようとしたが食べ物はおろか、水も燃えてしまい飲食できない。
目連尊者は、お釈迦様に何とか母を救う手だてがないか、と、たずねた。
するとお釈迦様は・・・
「お前の母の罪はとても重い。生前は人に施さず自分勝手だったので餓鬼道に落ちたのだ」という。
そして「多くの僧が九十日間の雨季の修行を終える七月十五日に、ご馳走を用意して経を読誦し、心から供養しなさい。」とおっしゃった。
目連尊者がその通りにすると、目連の母親は餓鬼の苦しみから救われた。
このどちらの話にも「餓鬼」が関わっている。
前にも書いたが、盂蘭盆の語源「ウランバーナ」は、色んな説があったが、良くお経を読めば、これは「食物を盛る器」のことである。
これを、長年間違って伝えていたフシがある。
読めば分かることなのに、誰も読んでなかったのか?・・・ワタシも(^^)
目連さんのお母さんが「倒懸器の責め」を受けているなんて、何処にも書いてない。
これは案外「ウラボン→盆を裏にする→逆さ吊り」というダジャレみたいな間違いなんじゃないだろうか?・・・と最近思っている。
阿難さんのお話は、自分のためにする「預善」であり、木連さんのお話は、故人に向ける「追善」である。
これを言う人はいないようだが、ワタシはこのことを強調したいと思っている。
この施餓鬼と盂蘭盆は、法会として、割と早い時期から合体していたようだ。
どの宗派でも、盆月に施餓鬼をするケースが多いように思う。
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