「シン・ウルトラマン」2回目〜

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レイトショーで「シン・ウルトラマン」2回目鑑賞ナム。
1週間を待たずしてパンフレットは売り切れ。
初期対応が脆弱すぎるゾ、っと。
前回はどういうわけか尿意との戦いになってしまったが、今回は問題なし。

「モーションアクションアクター」のトップが古谷敏さんは分かるが、2番目が「庵野秀明」ってなに?!(^o^)
体に色んなセンサーとか着けて、喜々として演じていた姿を思い描いて、笑ってしまうゾフィー、っと。

今回の「カラータイマーが無いウルトラマン」という部分が注目され、デザインの成田亨先生のことがクローズアップされていることは喜ばしい。
セブンは抜いて、それ以降のウルトラマンのデザインのキーポイントになってしまったのが、カラータイマー。
コレが無いとウルトラマンにならない。
コレがあるからウルトラマン・・・という風になってしまった。
だから、ワタシも子供の頃、下のような絵を見たら「これは間違ってる」と思ったに違いない。

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それと、確かウルトラマンを再開(オーストラリア版・ウルトラマングレート)する時に、デザインを成田先生にお願いしようとしたら、成田は直ちに新ウルトラマンのデザイン画を描き上げた。「ウルトラマン神変」と題されたそのウルトラマンは、金色のボディに黒いラインだった。成田先生がデザイン料として著作権の30%を要求したため、ご破算になったという。
また、ウルトラマンを本や雑誌に掲載する時には「デザイン・成田亨」と明示する約束だったのが、いつの間にかそれは消され、挙げ句「ウルトラマンのデザインは皆で考えた」などという間抜けなことを言い出す始末。

子供の頃は、カラータイマーの設定にハラハラしたのは事実。
大人に事情はつゆ知らず・・・

しかし、できるならば「本物のウルトラマン」を見てみたい。
今のCGの技術を使えばそれはできる。

ウルトラマンも、仮面ライダーも、ゴジラも、初回のヒット後、量産されてきた。
当然、前とは違った物を、ということになる。
ゴジラは人間の味方となり、他の怪獣や宇宙怪獣は良いとしても、ロボットや息子まで出てくる始末。
亜流はそういう展開になる。
平成になって、仮面ライダーも、ウルトラマンも、ゴジラも、原点を見直すような作品が新たに作られたが「原点」ではない。
やはり亜流だった。

前にも書いたが、宇宙戦艦ヤマトの、初めの作品に心打たれた者は多かった。
これもまた亜流が生まれた。
二度と姿を現さないと言ったヤマトが何度も出てきて、死んだであろうデスラーは蘇り、挙げ句は沖田艦長が生き返るに至った。
そこまで行くと、コッチが引いてしまう。

時代は進み、アニメーションの作画技術も、演出の方法も、進歩する。
そうなると、一番好きな1作目が、どうしても見劣りするようになってくる、という面もある。

それを、作画技術も、設定やストーリーの「気になる部分」も直して、今見てもおかしくない「1作目」を見たい、という気持ちになる。
それが「宇宙戦艦ヤマト2199」だった。
これは、また亜流が作られるという、同じような道筋を歩んでいるが、どれも、元々の作品へのリスペクトは忘れていない。
個人的には「さらば・・・」以降の設定には違和感を感じるが、世界観として理解できるものではある。

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さて、庵野秀明という人物が、ゴジラ、ウルトラマン、仮面ライダーなどの、いわゆる「特撮物」と呼ばれるものに、思い切り入れ込んだ人物であるということは、多くの人がご存じだろう。
いわゆる「オタク」の権化のような存在だ。

そこに「新しい作品」を作る側とは違う意識がある。
作る側は、常に「新しい」作品をつくらなければならない、というものがある。
厳命のようなものだ。

しかし、庵野秀明というオタクが考えることは違う。
あくまで、コレまでの作品を見てきた者として、それまでの作品に入れ込んできた者としての見方である。

クリエーターの側に回ったが、オタクの心を忘れない人だった、ということだ。

だから「新」であり「真」であり「心」であり「深」であり・・・なのだ。

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ウルトラマンが創られた当時、成田先生のイメージされたものは、正に地球上とは異なる「宇宙人」。
それも「変な生き物」ではない、先進的なイメージ。
後から付けられたカラータイマーや、仕方なく着けられた「黒目」。
あの黒目は、中に入る古谷氏の視界が悪過ぎて、手を引かれてやっと歩いているヒーローの姿を見て、成田先生自らがドリルで穴を開けたという。
開けられた穴は、その後大きくなって、立派な黒目になってしまったのだった。
そういう不運を取り除いた、成田先生がイメージされた純然たるウルトラマンを作ってみたい、というオタクの権化の気持ちの結晶がこの「シン・ウルトラマン」だったのだと思う。
銀色はウエットスーツに「塗った」銀色ではない。
体表は、全裸なのか着衣なのか分からない。
黒目は無い。
チャックを隠す背びれも無い。
そしてカラータイマーも無い。
顔は、最初の顔に近づけているように思える。
アップの時の表面は、FRPのマスクより、最初のラテックスのマスクに生物感があるという感じでか、ソッチに寄せている感じもする。

ただ、右耳の中に元々のスーツにあった目を光らせるための「スイッチ」が描かれていたのは「オタクの心・オタクの遊び」か?

予告編にもある、最初の「ドカ〜〜〜ン!」と落ちた(?)ウルトラマンは何だったのか分からないが、あの「ジャンプ」ではない飛行と、着地。
平成のウルトラマンは着地の重量感を、跳ね上がる土埃で表現したけれど、あれは映画の「スーパーマン」と同じになった。
スーパーマンは元々ジャンプだったので、反動を着けて飛んだが、クリストファー・リーブの映画では「原理不明の飛ぶ力」になっていた。
それと同じ感じになっている。

映画の画面となって、光線の射程も伸びた。
これもいい。
山間での戦いの時の民家や山やダムの表現など、ワザとミニチュア感をだしているようにも見える。

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今回、怪獣も「禍威獣」とされたのが、暴走族みたいなネーミングだという意見もあったが、確かにそこは「怪獣」で良かったのではないか?と思える。

ただ「シン・ゴジラ」もそうだったが、人間の部分は、徹底して「現実的」に描こうとしている。
そこに空想としてのドラマに現実味を負わせるということにもなるのだろうが、今の世界にもしウルトラマンが来たらどうなるか?ということ自体が「空想」でもあるということだ。
だから、徹底して現実を描き、そこに、現実社会への皮肉や揶揄も込める。

だから「科特隊」転じて「禍特対(禍威獣特設対策室)」も現実的な存在で、特別のユニフォームも「怪獣退治の専門家」というニュアンスはあるが、現実的になっているのだと思う。

ウルトラマンのデザインを成田亨デザインに徹底したのに、なんで怪獣、いや、禍威獣は変えちゃったの?という意見もあろうかと思うが、それはデザインにおける世界観の統一ということでもある。

ウルトラマンも、ブラッシュアップされたように、禍威獣や外星人もブラッシュアップされる。
禍威獣は、むしろ逆にもっと生物感を出してもよかったのではないかと思うが、あれは「生物兵器」ということなので、全身がドリルのようになるガボラも理解できるようになってる。
パゴスとガボラの関係から見てもそれは分かる。

宇宙人、転じて「外星人」のデザインは、成田デザインを活かして、よく作られていると思う。
ザラブ星人のデザインも、成田亨先生が、彫刻を型抜きした雌型をモチーフにしたデザインを彷彿とさせる。

最後の設定は、なんか、実写版「宇宙戦艦ヤマト」のガミラスのような「宇宙戦艦ヤマト2199星巡る方舟」のような展開で、違和感を感じたが、これが、今の人たちの作劇なのだろうと思う。

こりゃ〜「シン・ウルトラマン」だけで6回は見るな、と思ったから、東宝のマイレージカード作りました。



この記事へのコメント

  • ひるのいこい

    腰痛が酷くて2時間耐えられそうにないので,まだ未見なんですが。
    スーツアクター庵野氏は daicon版を見た方へのファンサービス?

    ウルトラマンはタロウまで(メビウスは見ましたけど)
    スペクトルマンとかシルバー仮面とか人間臭いのが(ガキのくせにひねくれていたとも言う)好きでした。よく考えたらあの頃の方がいいなと思うのは哀愁や郷愁だけでは無く脚本家がしっかりしていたんでしょうね。
    庵野氏くらい自分が好きだからリメイクすると言う人は別でしょうけど。(アニメの実写化が叩かれるのはその辺もあるのかもしれません。
    フランス版シティハンターのように自分が好きでやりたくて持ち込んだ作品は否定されていませんしね)
    2022年05月20日 11:06
  • 三日ボーズ

    振動する椅子ので見れば適度にマッサージされるかも?(^^)

    キャシャーンや、ガッチャマン、ヤッターマン、デビルマン等々、ほぼCGで作れる訳ですが、シナリオや、世界観のデザインなどが重要で、作画の技術はあっても、それでどういう世界を作るか?というのは才能による、としか言えません。
    今は、アニメの技術も独自に発展して、CGがあれだけ使われると、アニメと特撮の差もアヤシイ感じになってると思います。
    人物等が絵か実写(実物っぽいCG)か、という違いでしかない感じです。

    んで、結局は「どうつくるか?」ということで、エンタメ要素も含めて、やっぱり「まとめる力」ですね〜。
    エヴァンゲリオンを通して、庵野氏は色々学んだんだと思います。
    色んな亜流も、多くは「好きな人」が作ったのでしょうが「好き」のレベルが違うということ?(^^)
    2022年05月20日 11:47