『シン・ウルトラマン』〜〜!
1966年(昭和41年)7月17日から1967年4月9日まで放送された「ウルトラマン」。
ワタシ8歳の時・・・か
56年前のこと。
思い出すのは、最終回の日。
日光へだったか、家族で出かけて、帰り渋滞に見舞われ、帰ってテレビを点けたら「さようならぁ〜〜、ウルトラ〜マ〜〜ン」だったってこと。
だから、最終回は再放送で見た。
いつからカラーテレビになったのか記憶が無い。
祖父が、親戚の歯医者に行ってカラーテレビを見て「カラーテレビはいいなぁ〜」と言ってたらしい。
買えなくはなかったらしいが、近所の手前、檀家さんの手前、入れられないなぁ・・・で、祖父は、家でカラーテレビを見ずに亡くなった。
当時、カラーテレビを入れるとアンテナが赤いのになった。
今から思えば、アンテナの素子数が増えるのは分かるが赤い必然性は無い。
だれが思いつけたのか?!、ひでぇ〜ことするもんだ。
まあ、「いつかはクラウン」というのと、あんまり変わらないか・・・?
祖父の遷化が昭和43年だから、ウルトラマンの初回放送はカラーでは見ていない。
当時は、どんな意識でモノクロの放送を見ていたのだろうか?
雑誌などに載るカラーを想像して見ていたのだろうか?
今の人には想像すらできないだろう。
ワタシの記憶も無いくらいだし・・・
まったく以て、これ以上画期的なデザインがあったろうか?
特撮だって、油断すれば「実写版・鉄腕アトム」や「実写版・鉄人28号」のようなものがある訳だ。
そこから、そんなに時間は経っていない。
モノクロの「ウルトラQ」も凄いものだった。
「ゴジラ」という「自然が生んだ怒りの怪獣」ということと、アメリカの「ミステリーゾーン」が合わさった奇跡の作品だが、そこから「ウルトラマン」という「ヒーロー」を産み出した才能はものすごい。
56年前に、突如として現れた銀色と赤の巨人。
シンプルの極致といえる合理性の象徴的なデザインをぶつけてきた成田亨という天才があってのこと。
それがなければウルトラマンは、恐ろしく違った物になっていただろう・・・
「これなんだ!!」と言って、これを造った人たちを尊敬して止まない。
そういう訳で、初日、見に行ってきたです。
「宇宙戦艦ヤマト」も、そうだった。
アニメにおける「ひとつの時代の切っ掛けを作った」作品だった。
これを見てアニメの世界に入った人も多い。
庵野秀明という人物もそう。
それはエポックメイキングな作品であったけれど、それをキッカケにして新しい時代は始まり、数多の作品が生まれたが・・・
時間が経つと、衰えて見えてしまうところもある。
大好きな作品でも、特にアニメでは作画技術、演出技術、ストーリー、ストーリーテリング等々、見劣りがしてくる。
ソレを現在の技術を総動員して、見劣りしないものに作り直す、というものだった。
元の作品を否定するものではなく、尊重しつつ、作り直す。
リスペクトというヤツだ。
「壮大な同人誌」と言われた。
ファンが作り直した作品だった。
「ヤマト」は、後から後から「続編」が作られた。
それを原点に戻すような作品が「宇宙戦艦ヤマト2199」だった。
「シン・ゴジラ」もそうだった。
柳の下のドゼウは沢山いて「男はつらいよ」のように、東宝の夏休みには無くては成らない物になっていた。
ドンドン「亜流」は作られ「ゴジラ」は変わっていった。
最初の「ゴジラ」だけは、特出したものがあった。
その最初の「ゴジラ」に戻ったのが「シン・ゴジラ」だった。
「ゴジラ」は、原爆の被災国として、原水爆実験を続けることへのアンチの気持ちが込められていた。
「シン・ゴジラ」は、それを東日本大震災に置き換えて描いた。
成長途中のゴジラが蒲田辺りから上陸した時は「津波」の被害を描き、後半のゴジラは「原発事故」を描いていた。
ソレを見て「庵野秀明、恐るべし」と思ったものだ。
「ウルトラマン」も然り。
柳の下を求めて、今も、作り続けられている。
次の「仮面ライダー」もそうだ。
庵野秀明という才能が、亜流を作りまくった作品群を「原点に還す」ということやってのけている。
(庵野氏は「宇宙戦艦ヤマト2199」にも「オープニング絵コンテ」という形で関わっている)
庵野氏は「ウルトラマン」を現在造るとしたら、どうなるか?・・・というテーマで取り組んでいるものと思う。
「シン・ゴジラ」でも、現在の政府や社会の描写に拘っている。
「シン・ウルトラマン」は「空想特撮映画」と名乗っている。
「空想」の部分と「現実」の部分の融合が難しいところだ。
現実を描くほどに、空想の部分が乖離する。
それがどう描かれているか・・・?
いや、そこは「空想」なのだから、どうでも良いところかも知れないが・・・
原点に立ち返ったシン・ウルトラマン。
エンドロールには成田亨先生と奥様・流里さんのお名前があって、嬉しかった。
この点でも、原点に還るということを強く感じる。
成田先生と円谷プロの確執的なもの、いわゆる「大人の事情」というものが、この純然たるヒーローに影を落としていた。知らない人は知らないことだけけれど、知ってしまったら、それはカラータイマーや黒目のような汚点である。
それが、庵野秀明という人の力で、解消した感がある。
それが、何よりも嬉しい。
成田亨先生のウルトラマン。
この記事へのコメント
007
まあ、少し気持ちを切り替えて楽しむ、これもまた良しでしょうか、。
・・・例えば、フィルムOM-1とデジタルOM-1の関係の如く?、、、、、かな(=_=)、。
三日ボーズ
CGでは何でもできてしまいます。
仰る通り、フィルムカメラとデジタルカメラ、ですね。
アナログvsデジタル。
デジタル故に作れる画面。
もしかしたら、当時やりたかったことが実現できているのかも知れません。
チャックを隠すためのウルトラマンの「背びれ」。
のぞき窓だった「黒目」。
それらがないウルトラマンは見たい物ではありました。
ただ、当時、想像で補っていたものの、今は、その上を行く画面が作られます。
それが良いのか悪いのか・・・
フィルムが良いのか、デジタルが良いのか・・・と同じですかね〜?