観劇『鈍色のヘルメット』

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東武東上線・中板橋駅下車、少し歩いて演劇スタジオがある。
以前、大塚駅近くにあったスタジオと同じようで、マンションのようなビルの地下が演劇スペースになってる。
こういうところが結構あるのが東京、というところなのか。
演劇の底辺を支える理解あるオーナーが、幾人もいるのが東京という所か?
我が次女も、そういう人に支えられて夢を追う。

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「時は1969年〜!」
いきなり登場!の、次女が演じる、狂言回しのような新聞記者に言われて「そうか、オレが10歳の頃の話か・・・」と振り返る。

記憶の基準は万博だ。1970年。
「♪せねんきゅ〜〜〜ひゃくぅ〜〜ななじゅ〜〜〜ねんの〜〜 ♪こぉ〜んにちはぁ〜〜〜」である。

その時に「太陽の塔」の金ピカの未来の顔の目ん玉に乗って「アイジャックだ〜」とか言ってた。
ダジャレかよ〜と思う。
万国博覧会中止などを訴えるアジ演説を始め、何日か籠城した。
「赤軍」と書かれたヘルメットを被り、タオルを顔に巻いた、学生運動のスタイルだったので、赤軍派の仕業と思ったものだったが、実は関係は無かったらしいというのを後で知った。
そういうのも「ノンセクト」とか言っていた頃。
ただの目立ちたがりだっただったようだ。

東大安田講堂事件はその前か。

この演劇は、ソコを題材にしている。

・・・が、作ってる人も演じている人たちも「その時代」は知らない。
知らずに、そこに何を感じ、何を描こうとしたのか?

あの時代・・・やはりベトナム戦争だった。
これが、問題の中心にあったように思う。

「戦争が終わって生まれた」学生は、その空気の中であえいでいたのかも知れない。
いわゆる「安保」、日米安全保障条約が切れる前に、その延長を阻止し、安保を破棄させようという運動が起こる。
ベトナム戦争は泥沼化し、正義も見えない。
ソコへ持ってきて、安保は1970年で切れる。
その自動的な延長は阻止したい、という「風潮」・・・いや、そういう生やさしいものでは無かった。

ベトナム戦争に端を発する「反戦」の機運は世界規模だったのだ。
それが権力の在り方への疑問という方向に向く。

当時、共産党もそうだが、左翼と呼ばれるヒトタチは、過激だった。
記憶に新しい反原発のデモのようなのが、国会前に集結したが、あんなの可愛い、というくらい、安保闘争は過激で、凄かった。

左翼や、新左翼と呼ばれる連中が中心になって「反政府、反米運動」という風にみんなが吹かれているという感じだったのだろう。

学生の間では1968年から1969年にかけて全共闘やら新左翼とかいう連中の、いわゆる「学生運動」が全国的になっていた。
東大闘争、日大闘争とか「○○闘争」という言葉をよく聞くようになる。
全国の主要な国公立大学も私立大学も「バリケード封鎖」とかが行なわれる。
「70年安保粉砕」をスローガンとして大規模なデモが全国でたびたび起こっていた。

ヘルメット、タオルのマスク、ゲバ棒(これがゲバルト棒だということを後で知った。何を言うか〜〜(^^)の、ただの角材だ)、このスタイルが定着していた。ゲバルトはドイツ語の「Gewalt」・・・「暴力」という意味だ。

デモも「デモンストレーション」だったんだよね〜。

それを醒めて笑いにしたのが「ゲバゲバ90分」。
「ゲバゲバ、ピー」である。
低予算・タレント任せの安易な企画で粗製濫造されていたテレビバラエティ番組に対する警鐘という意味もあったらしいが、笑いの攻撃という感じもあった。

安保は、日本をアメリカの戦争に巻き込むものであるという意識は一般的にもあった。
そこに社会党や共産党は組織ぐるみ・支持団体ぐるみで動員することで運動の後押しをしていた。
今は羊の顔をしていたり、無くなっちゃったりしてるですが、この頃は、結構強力だったのだ。
やはり「大きな敵」があったからだと思う。
それが与党とか言う状況になってしまったりもしてるわけだ。

安保は、70年安保にまで及んだ。
ここでは成田闘争にもなってくる。

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これらの始まりには学生がいたのだった。

そもそも学生が何故にこのようなムーブメントを起こすことになったのか?
それが、ドラマ見ていて、いくつかの言葉で分かってきた。

ワタシは実際には知らないが、当時、ベビーブーム世代が大量に入学する一方で、全国の国公立・私立大学において、権威主義的で旧態依然とした大学運営がみられた。
元々は「授業料値上げ反対・学園民主化」とかいうスローガンを掲げていた。
そういう組織が、アチコチの大学で結成されていた。

そのまた元々は「全学連」。全日本学生自治会総連合。
子供の時もこの言葉は良く聞いていた。

ここに革マル派だとか、中核派だとかいうのがあった。
それが大学ごとだったり、学部ごとというのもあったかも知れない。

そういうのがいくつかづつまとまって全共闘とかになったんだったか。

それがまた東大とか日大にあって、日大闘争というのもあった。
この辺の全共闘の在り方は分からない。

各大学の選りすぐりの革命派みたいな感じで、闘争という意味では、ドンドン激化してくる。
ゲバ棒、バリケード、火炎瓶、という言葉が日常的にテレビに流れる。

東大安田講堂事件が象徴的な存在となり、それはもはや、大学と学生の問題という枠をはみ出して、洪水を起こしたようになった。
それは「学生が国家権力に立ち向かう」という印象だった。
機動隊との3日間の闘いは、圧巻だった。
ニュースはソレばかり。
「大学生は何をやっているんだ?!」と思いながら、火焔瓶と放水車の闘いを見ていた。
「子供相手に自衛隊が手加減している」という印象もあった。
自衛隊側は、殺しちゃイケナイ、という事が第一だから。武器も使えないし。

やがて「内ゲバ」という言葉がニュースに出てきた。
これで「総括」という名の殺人が起きた。
連合赤軍による「リンチ事件」はその最たるモノ。

詰問・暴行・極寒の屋外に放置・絶食の強要などを行ない、結果として29名のメンバー中12名を死に至らしめた。
この犠牲者の続出、脱走者や逮捕者の続出で最終的に5名だけになる。
こいつらが「あさま山荘事件」を起こす。

これもテレビで見た。
なんか、小学校の教室で見た記憶もある。

この一連の事件で世間の目も「こいつらはどうしようも無い連中だ」ということになった。
子供だったが、ワタシはそう思った。

それなりに崇高なメッセージを持って、権力と闘うという、安田講堂の闘いには、共感する所もあった。
子供なりにそんな感じだった。
しかし、リンチ事件で、その「なれの果て」を見てしまった感じがする。

さて、この学生運動に関して、共産党と社会党はどう思い、どう「総括」したのかを、今は知りたい。


なぎら健壱さんがあるYouTubeのコンテンツで、フォークジャンボリーについて語っていたことが印象的で「この時代」の若者の思考を考えていた。
それは、売れた歌手が出ると「大衆に迎合した」と言って「帰れ〜〜」とコーラの瓶を投げつけたという。
まさに、この時代のことだ。

フォークギターを持つのは、女にもてたい♡という気持ちがあったのでは?と思うが、こういう集まりでも、反体制という認識が強かった。
フォークシングにも、反戦歌や、若者の気持ちを歌う歌が多く、社会の風がそういう吹き方をしていた、ということだ。

映画は、ATGという「芸術映画」を作るとを目的としていたが「芸術映画」は、どれも暗いモノばかり。
今見ると、ホントに嫌になる。

当時、男はツッパッていたのか?、と思う。
本心は女の子に持てたい、付き合いたい、と思っていても、口には出せない。
男は硬派であるべきだ、という強い「タテマエ」で生きていたような、感じもあったろうか?
本気で硬派だったのかもしれないが、若者全体が気取っていたように思う。
半分はウソだったのではないだろうか?
引くに引けないタテマエの世界、だったのではないだろうか?

そんな風に考えるのは、やはり、現代を生きるヒトだからか?

活動家に恋い焦がれ大学に入り、学生運動に加わってゆく主人公が、憧れる女性の人権運動家は、時代は違うが市川房枝さんのようでもあり、時代的には土井たか子さんのようでもある。

主人公の女性が、活動に向かうのは、失恋からなのか?、それとあ関係ないのか?、そこがちょっと分からなかったが、それでいいのか、も。
失恋で・・・では高尚さが無くなるかも知れないし。

あ、そうそう、気になったのは、学生の演説。

アレには独特の口調があって・・・

「我々はぁ〜〜、断固としてぇ〜〜〜、○○に対しぃ〜〜〜、抗議するものである〜〜〜」
・・・という口調だったのも、思い出した。

あと、あれだね「鈍色のヘルメット」は無かったかな・・・と。
だいたい赤か白のヘルメットに「中核」とか「革マル」とか書いてある感じで。
鈍色=鉄、と捉えればいいか・・・な、と。

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