お話は難しい・・・
ここ1ヶ月くらいずっと考えていた講習会を行なった。
宗派の地元青年会主催の勉強会。
本来なら、青年会の皆様だけの集まりなんだけど、老人会に片足突っ込んだ者がおじゃました。
何と、Zoomというヤツで。
宗派の研究機関である智山伝法院の講座も一部がZoomになって、先日見て聞いた。
・・・なるほど、そういう感じか・・・とか思いつつ。
昨日も、奈良の薬師寺のボーサンが薬師寺の論議法要である「慈恩会(じおんね)」についての解説をしているのを、つい3時間も聞いてしまった。
それどころじゃないのに・・・
YouTubeもそうだけれど、動画はヤバイ。時間を奪われる。
気がついたら、こんなに時間が経ってたの?!・・・である。
薬師寺の方のリモート講習は、すぐそばに聞く人がいる様子だったけれど、こちらは、パソコン使って聞いているとハウリングが起きちゃうというので、隣の部屋にいるという塩梅。
私は、書院のガラン〜とした、文字通りの伽藍堂で独り、カメラに向かって話す。
手前にパソコンを置いてもらって、聞く人の顔を見るようにしているが、それでも話すのは、難しい。
でも、考えようによっては、目の前にいるより気楽なのか?・・・と、気持ちが切り変わったように思う。
しかし、難しい。
人前で、こうやってお話させていただくのは、3回目くらいだろうか?
なかなか、慣れないものだ。
実は、そういうことに今から慣れておきましょう、というのが、この青年会の勉強会だったのだ。
青年会の皆さんも、もうちょっとしたら、人前で話す、何か発表するというようなこともあるだろうから、今から、そういう練習をしておきましょう、という会でもあったのだった。
そこに、無粋にも「老人会」がお邪魔したということでありました。
分かっていたつもりでも、レジュメを書いた通りには話せないものだ。
思っていたことの半分も話せない感じ、か。
話ながら「いきなりこれは難しいか」とか、話すウチに色々思いがめぐる。
めぐっても、話す相手は目の前にはいない。
伽藍堂に向かって声を響かせているだけなのだ。
これは、まったく良くワカラン状況ぞ。
「ヨーイ、ドン!」でスタートしたら、ケッツマヅイテも、転んでも、あがきながら、ウンコ漏らしながらも、走り続けなければならないのだ!
・・・という感じ。
休憩時間を入れての2時間15分くらいか?
突っ走ったワ〜。
もっと、余裕を持ってやりたいものだ・・・と反省しつつ・・・
次回へ・・・。
しかし、これがあったので、研究が進んだ、ということもある。
普段のままだと、いつになってもまとまらないものが、一気にまとまった感じがする。
これは、有り難い。
ど〜も、締め切りが無いとやる気になれないのだ。
今回のを書き直せば、発表論文になりそうだ。
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