「普通」がいい、ということ・・・(個人の感想です)

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また、一人暮らしの方の葬儀、ということになった。
最近、よくある感じになっている。

長男が産まれ、そのお父さんが亡くなられ、違う方が婿養子になって、子供が3人産まれた。
後添えの方の長男が、その元々の長男に気を遣ってか、居心地が悪くてか、中学を出たら家出同然でいなくなった。
その方が、亡くなられたと警察より電話。
音信不通も、2度見つかって、その時に、何かあったら、と連絡するようにと言っておいたのがどこかに記してあって良かったか、ということ。

それにしても、寂しい。

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こういう寂しい話が多く、そんなことばかりが続くと、気が滅入ってくる。

相続でもめて仲違いとか、そういうのが多い。
とにかく、喧嘩は良くない。
当たり前のことだけれど、つくづくそう思う。

離婚・再婚もコトを複雑にする。
葬儀という段になって、ヤヤコシイ事になる。

葬儀は、離れていた親類縁者を無理矢理にでも再会させる力がある。
そうして、故人を挟んで、その血縁など、人のつながりを再確認させてくれる。
それは、概ね良いことだと思うが、逆になることもある。

いまだに、親戚とか兄弟が別々に法事をやる、というところもあったりする。

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昔の家督制度というものは、皆がガマンを強いられるものだが、それによって守られるもの・・・があった。

特に、戦後、自由&民主主義となり、核家族がドンドン増えて、皆がそれぞれに生きられるようになった。
悪く言えば、勝手に生きられるようになった。

良いことなんだろうな〜・・・とは思う。

結婚をすると夫婦は独立した家庭を持つ。
その子供たちも独立する。
同じ家には住まない。
家を建てても1世代しか住まないということになる。
そんな勿体ない家を量産しているということだ。

空き家の問題も、独居老人の問題、介護、孤独死・・・おおよそ、核家族が原因と言えないか?

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結婚後の夫婦別姓が話題になっている。
私らの世界だと、養子縁組も、婿養子も割とよくある話なので、女性が夫の姓になる、ということだけの問題では無い、という認識がある。

例えば、成田山で得度をすると、必ず「照」の字が入った僧名をいただく。
これで、戸籍を変えることが多い。
ここで名前が変わって、例えば、その僧が次男とか三男で、成田山で働くウチに縁があってどこかの寺に養子とか、婿に入ったとすると、名字も変わって、全くの別人になってしまう。
これは特別としても、養子・婿入りは結構あるのがウチらの世界。

夫婦の名字を(概ね夫の)ひとつにするのも、家督制度の「名残り」と言うことかもしれないが・・・

子供ができたら、そこは統一した方がよいのではないか?・・・と思う。

家督制度が守ってきたのは「形」なのかも知れない。

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「古くさい」などと一蹴せずに、考えてみる必要はあると思う。
核家族という社会の選択が、社会のひずみになってしまっているということを。

昔に戻れと言っているわけではない。
それは「今更」である。

大多数が核家族ということになって、日本の文化は明らかに廃れて行くと思う。
文化はCulture。
これは「耕す」ということが基本である。
定住して、耕して、食べて、生きることで文化が生まれる。育つ。

農業も、林業も、漁業も、匠の技が必要な技能も、継承ということが大事。
住み着いて、生き方を継承することで文化が育つ。継承される。

いま、この根本が危うくなっている。
寺の副住職も結婚して別居するのが多数になってしまった・・・くらいだ。

第一次産業が、主に、そういう昔ながらの継承を必要としている。
故に、結婚という点だけでも「古くさい」と敬遠されがちだ。
間違いなく、衰退する。
いや、している。

文化無くして文明は無いと思うが、文明だけが勝手に進んで行く。

文化は心。

心なき文明が闊歩する時代になってしまって、実は、生活の底辺というか、基盤が危うくなってしまっているのだ、ということに、せめて気づかないと、心のありかも、行方も分からなくなってしまうのだと思う。

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私の世代は、みな同居だから「お嫁さん」は大変な苦労をかけてしまっている。
しかし、それによって守られる文化があるのだと思う。

女房にも、元は、いや、今でもやっぱり他人の我が両親の面倒を見て貰うことになって、ホントに心苦しいが、それは、きっと子供たちは見ていると思う。
やがて、自分たちが新しい家庭を持ったとき、改めて、母親の思いを感じてくれるものと思う。
それだって、文化の継承だと思う。

子供に恵まれたら、一所懸命育てる。
この「普通」であることへの感謝を忘れずに生きて行くことが大切なんだと思う。

「普通」である、ということに恵まれない人たちも多くいるということを決して忘れずに。

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