お水取り、多元中継〜!
コロナの生んだ幸いがある。
南都・・いや、何と、東大寺のお水取りが「ネット中継」された、ということだ。
ここんとこ、お水取りの観客が増え、人の流れをどうするか?ということに苦慮する状態のようだった。
2017年だったか、やっとのことで、外から見ることができた。
それも、何でもない日に行って、でありました。
今年は、二月堂内部も、二月堂下も観客を入れずに行った。
その対処として、東大寺がYouTubeでの生配信を行った。
同時に「ニコ生」と、なんと、NHK・BSの生放送も入った。
これは有り難い。
松明を「ニコ生」で見て、内部をYouTubeとNHKで見るという、何とも贅沢。
この「ニコニコ動画」の書き込みが面白い。
独自の文化、という感じ。
初めて見る人が、あらゆる角度の書き込みをするのが面白い。
NHKのは、画質と音とアングルはいいが、解説がよろしく無かった。
ただ、画面で見せてくれれば良い。
特に夜中のなんかは、ナマの音だけで良かったろう。
字幕も用意してあったようだから、字幕で説明してくれればいいのに、というのが、残念。
せっかくの放送なのだから、だからこそ、余計なことをしないで欲しかった。
テレビだと「分からない人に分かってもらわねば」という意識が働くのだろう。特に、NHKは。
葬式のお経だってワケワカンナイまま聞いてるでしょ?・・・ということ。
分からなくて、いい。
お水取りを毎年見ている人だって、事細かに内容が分かっている訳では無い。
「感じ取り方」も各人各様でいい。
仏教に造詣があると思われる夢枕獏さんの選択とか、視聴者とワカラナイ法要の橋渡しというか、間の位置なんだろうが、そういうのは全く必要ない。
静かにしていて欲しいところでしゃべられるのが困った。
実際の法要を、そんなにおしゃべりしながら見ているひとはいない。
声明の研究家の端くれとしては、南都の声明の面白さが感じられた。
薬師寺の声明も、また違っていて、もう「勢い!」という感じがある。
お水取りの声明も、雑多なものが入り交じっているように思える。
カオス!・・・という感じがする。
比べれば、真言・天台のは、整然としている。
平安の都で育まれた、と言えよう。
奈良では、そもそも752年の大仏開眼では、唄・散華・梵音・錫杖という四箇法要を行ない、アジア各地から招待した民族の舞楽が披露されたという。
そこで、おそらく中国由来と思える「唄・散華・梵音」が唱われたというのだから、そういう文化の発祥でもあるわけだが、まもなく都が京都に移されてしまう。
雅楽の京都に移され、若干残った、という感じなのだろうか?
宮中では雅楽も大きなウエイトを持っていて、そういう時代に、そういう都に、真言・天台は輸入された。
そんな中で、声明は育ち、法要の形式も整って行く。
奈良がカオス奈良・・・いや、なら・・平安はコスモス・・・だろうか?
音楽的にも整備された、という感じがする。
東大寺の声明を聞いていると、おそらく、長い口伝の中で、気持ちを込めつつ変化したもののように思う。
この法要というより、この「お水取り」という大きなイベントが、日本に仏教が入って、もともとあった山岳信仰・自然信仰的な物と混沌となっている感じが今に伝えられるものだと思う。
長谷寺の「だだおし」もそうだが、神道の方にも「火祭り」というものが、微妙に形を変えてアチコチにある。
そういう「いきおい」が、声明にも乗り移っている感じがする。
お水取りのレコードもあるから、はやくデジタルにして、よく聴いてみよう。
はやり、1度ならずも2度3度と「行くしか無い!」と思う。
この記事へのコメント
ひるのいこい
ニコ動やようとべ見ている限りかなり暗い(残念ながら迎えには行きましたが
今まで未見なんです。車止めていて警察に職質されるまでがデフォルト(実話))
んでしょうがあの合焦精度とノイズの少なさには驚きました>NHK
三日ボーズ
お金儲けに抜かりが無い、ともいえますがね〜、ま〜、楽しみです。