12月8日

今日は何の日?
我がナビ子ちゃんは「針供養の日」とのたまっておる。

「事納め」なんだそうな。
2月8日が農事を始める「事始め」とか。

対米英開戦記念日(太平洋戦争開戦記念日)。
ジョン・レノン忌。

新型武漢コロナウィルスが認められた日。

・・・そして「成道会(じょうどうえ)」m(_ _)m

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成道会(じょうどうえ)とは、釈迦の成道(悟りを開いた事)を記念して行われる法要(行事)のことである。日本では、釈迦は臘月(旧暦12月)の8日に成道したと伝承されているので、成道会を臘八会(ろうはちえ)とも称し、この日に法要が行われる。南伝仏教では、ウェーサク祭として、5月の満月の日に仏誕会、涅槃会と共に行われている。(Wiki先生)

「悟り」とは何か?Wiki先生は、書きのように仰る。

釈迦(しゃか)の辿った道筋から見てみると、釈迦は出家前にすでに阿羅漢果を得ていたとされるが、出家後も含めて多くの哲学者や宗教家の教えを受け、苦行にも専念したが悟りを得られなかった。
そこで今までの修行法をすてて、尼連禅河(にれんぜんが)で沐浴し身を清め、村娘スジャータから乳粥(ちちがゆ)の供養を受けて河を渡り、対岸のピッパラ樹(菩提樹)の下で降魔成道を果たし、梵天勧請を受けて鹿野苑(ろくやおん)で初転法輪を巡らしたとする。
ブッダは当初、自身の悟りは他人には理解できないと考え、自分でその境地を味わうのみに留めようとしたが、梵天勧請を受けて教えを説くようになったと伝えられることから、ブッダの説法の根本は、その悟りの体験を言語化して伝え、人々をその境地に導くことにあったとされる。
この悟りに到達することが、後代に至るまで仏教の根本目的であるとされる。


この「ブッダの説法の根本は、その悟りの体験を言語化して伝え、人々をその境地に導くことにあったとされる。
・・・という、ここまでは合ってる感じがするが、これ以降は、かなり、個人的な解釈のバイアスがかかってる感じがする。

ではこの悟りをもう少し具体的に掘り下げてみると、釈迦は説法の中で自身の過去世を語っている。
様々な過去の輪廻の遍歴を披露しているのである。
これは常人にはあり得ないことである。素直に釈迦が過去を思い出したことを認めるならば、悟りの一つの側面とは、正に一切の過去の記憶を思い出すことであると言える。
永遠という表現に近い時間をさかのぼり、一切の記憶を思い出し、それと共に、釈迦が現じた神通力と呼ばれる本来持つ能力も取り戻したと考えられる。
悟りとは、真の自己の覚醒、というより本来の自分に帰ることだといえよう。私たちは、悟りを得るため、仏に南無する。
南無とは、意味として帰命と訳される。
つまり悟りとは、言葉どおり本来の穢れなき命に帰ることと考えられる。


これはWiki先生の言葉としては相応しくないと思う。
特に、最後のあたりの記述は、かなりおかしいと思える。

僧言いながら、個人的な解釈を述べる訳だけれど・・・

個人的には『遺教経』というお経が、シンプルにお釈迦様の教えを語っているように思う。
これも、いつの成立かワカラナイけれど『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』などよりは、シンプル、という感じ。

この中に「度する」という言葉が数多く出てくる。
コレに関しては、どう訳すか?
以前、遺教経の私的翻訳をこころみたことがあったが・・・「度」は「手でムシロを広げた状態」という意味で「ここからあそこまで」という意味がある。
「度(はかる)る」という。
「氵」がついて「渡る」となると「此岸から彼岸へ渡る」ということになる。
我々が僧侶になる式を「得度式」という。「度を得る」ということ。
世俗から出家の世界に至る、ということ。
お釈迦様の頃ならば、家を出て修行者になるということだ。

「悟り」というのは、そのときにお釈迦様からいただく示唆、お言葉だったんだと思う。
それに従って修行を続ける。これが、お釈迦様の仏教の生き方なんだろうと思う。
だから「悟り」がゴールでは無い。
入り口だった。
お釈迦様の弟子となっての生き方のスタート地点だったんだと思う。

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珍しい「成道佛」。
宇都宮・戸祭にある祥雲寺(曹洞宗)の本堂裏にある。
触地印(そくちいん)をされている。

菩提樹の下で悟りを開いた時、魔物が現れ、悟りを妨害しようとしましたが、それを打ち倒した、ということを示している。
「釈尊は、この印相で地に触れると、すぐさま地神がわき出て来て釈尊の福業勝徳を証明し、悪魔は退散した」という。

「降魔印(ごうまいん)」とも言う。

この状態を「降魔成道」という。

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仏教は、今に至っても「悟り」が目標となっている。

禅宗が、求めているのは悟りだし、浄土系も、往生即成仏ではなくて「往生して阿弥陀様のお話を聞いて悟って仏になる」というものだったと思う。
基本的には、悟らないと仏には成れない・・・というのが大原則だ。
経の中にも、論の中にも「悟りを得るにはどうするか?!」ということと、その結果「仏になる」ということがテーマになっているものが多い、というか、殆どと言って良いかも知れない。

でも、悟りとはどういうものか、ということはワカラナイ。

ワカラナイから、その境地を求める。求めて見つかった時に、それが分かるというようなことになってる。

密教的には、元々仏である。仏である種を持っているが、それが隠されている。
隠している霧のようなもの(無明)を晴らせばいいのだ・・・ということになる。

一方、日本の仏教においては「死後の成仏」ということがテーマになってきて、それまでの「悟り・成仏」という概念からも離れてしまっていて、独自の展開になっている、ということだ。

おそらくこれが原点か?というところに戻れば「悟る」ということは、つまり「分かった」ということで、それをお釈迦様に教えていただいて、その教えを守って修行することが、安らかに生きるという「生き方」にある、というものだったんだと思う。

そのためには、出家することが前提。
そして、それは、誰もができることではなかった。

万人がソレをやったら、民族や、人類が滅んでしまう、というようなものだったのかも知れない。
「そのまま」だったら、仏教が広まることは無かったし、仏教そのものが、早くに無くなっていたと思える。


12月8日・・・もうイッコあった。・・・女房の誕生日の前の日。

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