「すんげぇ車」って?!

智積院1.jpg
Twitterにこんなコメントが流れてきた。

「すんげぇ車に乗ってるなぁ。運転手付きってか。基本なんとも思ってないからナチュラルにこういう写真載せるんだろうな。」

・・・と。
これは、高尾山薬王院に新しく就任した貫首様が、総本山・智積院に挨拶に行った時の物。

このTwitterだと、誰が乗ってるのかがワカラナイ。
当人は分かって書いているんだけど、こうしてツイートすると「どういうボーサンが、どういう形でこの車に乗ってるのが」ということがワカラナイ。
この状況に関する説明も無い。

そうすると、ただ、そのコメントと写真を短絡させたコメントが付く。
まあ、フォロワーとかいうのは、仲良しこよしの部分があるので、ツイート主寄りのコメントになりやすい。

智積院2.jpg
さて、これがどんなに「すんげぇ車」なのかは、私にはワカラナイ。
私にはこの車種がワカラナイ。
これを撮った者も、ソコまでは考えていなかった可能性もあるが、エンブレム等は写していない。

そもそも、これはFacebookに投稿されたものだ。
Facebookは、原則的にお友達のお付き合いだと思う。
公開されているものを見ることは誰でもできるが、基本、分かっている人と人、という関係性が前提としてあると思う。
だから、この状況がどういうことかは、分かってる人が多いはずだ。

しかもこのツイート主が、このFacebook記事に付けているコメントを載せていないのは、作為的と言わざるを得ない。

智積院.jpg
【髙尾山藥王院御貫首 ご来山】
12月10日(木)
大本山髙尾山藥王院御貫首 佐藤秀仁 僧正が総本山智積院化主 布施浄慧 猊下へ就任のご挨拶にお越しになりました。
佐藤御貫首はお出迎えした僧侶だけでなく、修行僧たちにもお声がけいただき、就任のご挨拶を終えられました。


・・・というコメントが付けられている。

このFacebookをみて、ツイート主のように思う人は、希だと想像する。

そもそも、これは、我々の中の「閉ざされた世界」の話だ。
それは、全くの部外者が、一般の常識(風なもの)を持ち出して、批判するべきのものではない。

批判的視点を予想して、安易に公開すべきでは無い、という意見もあるが、これはあくまでFacebookの記事である。
それに、意識してないかも知れないが、車種がスグ分かるような撮り方にはなっていない。
このシーンは、表敬訪問を表すのには相応しいシーンだと思える。
これをFacebookという、原則として理解ある人たち向けの媒体に載せることは、決して迂闊なことではないと思う。

このツイート主の根性が曲がってるとしか言い様がない。
Twitterは、こんなのがウヨウヨしてる愚かな世界でもある。

智積院3.jpg

ちなみに、我らが総本山の能化様(管長猊下)のお車は「センチュリー」だ。
文句あっか!!・・・である。

能化様は「我々の世界」では天皇陛下と同じと言っていい。
「能化(のうけ)」とは「能く教化する」ということで、我々を教化くださる存在。
我々される方は「所化(しょけ)」という。

宗派のトップ・・・という言い方も軽々しい。
それはもう、大日如来から始まって、中国の恵果和上から、弘法大師、興教大師を経て、今に至って法を継承する存在であり、それは、これらの祖師と同じような存在と思っていただければいい。

これは偉い人が自分で「俺は偉いのだ」と言うのとは違う。
威張っているワケでは無い。
我々がひたすら崇める存在なのだ。
その方をお乗せする車は、当然高級な物であっていい。
いや、そうでなければならない!・・のだ。
この思いのどこがおかしい?!

この感覚は、特に我々の世界に限らない思う。
一般社会でも通用すると思うんだけどな・・・。
ツイート主には、そいういう感覚はないらしい。

例えば、成田山の貫首さまなど、我々の世界のそのまた中の、成田山の世界では、正に天皇陛下のようなものだ。
これを詳しく書くと、ホントに批判されそうだから書かないけれど、大変な存在なのだ。
そういう方を載せる車が、高級車であって何が悪い?!

我々が乗るのとはワケが違うのだ。
信者さんたちも、自分が尊崇する貫首様が、普通車などに乗っていたら、それこそクレームだ。
立派な方なんだから、相応しい車にしろ、と。
そういう世界なのだ。

この絵柄だけを見て、ただ単に「ツッコミどころ」と思っただけの、世間知らずの単純な頭にはワカラナイことだったわけだが・・・
我々に対する、一方的で単純なステレオタイプの思い込みと、それに基づく碌でもない評価によって、安易なツイートをした、そういうことだ。

勿論、そういう仏教界に対する批判は甘んじて受けるが、それとこれとは全く違う問題だということだ。
我々の尊崇の対象に対して、部外者が口を挟むことではない!

さて、高尾山・薬王院の貫首さまが、交代された。
新しい貫首様は50代だという。
若い貫首様には、期待しかない。
新しい風を吹き込んでくださることを願ってやまない。

京都くらいなら、自分の車で運転したいところかもしれないが、それはもう叶わない。
万が一の交通事故などあってはいけないからだ。
自身が傷つくというより、人に危害を与えてはいけないから、運転はできない、ということになろう。

「運転手付き」というのは、そういうことでもある。

この記事へのコメント

  • ひるのいこい

    センチュリーも存在して パブリカもといヤリスも存在しなければ
    成り立たないんですけど。妙に全員が下の方で固まる社会主義に移行しつつ
    あるような。 TPOもクソも無く…。 いつかはクラウンの社会がすべて正しいともいいませんが,普段着とよそ行きの服装変える事がなくなったあたりからこういう話を自分の周りでも聞くようになりました。

     まぁこんなことツイッターに書くと「だからバブル組は」とか「服を替えるそんな余裕も俺たちには無いんだ」と叩かれるんでしょうが’。 

     確かセンチュリーって「お金はあるんや キャッシュで払うさかいに
    売ってんか」では売ってもらえない車。カタログすら入手困難と聞いたことがあります,(いわゆる,「運転手つき」の車に興味はありませんし,
    そもそも夫婦揃ってトヨタは好きじゃありませんが(w )
    そういう車が 日本にあってもいい いや そういう車も無きゃ困るんですけどね。
     
    私も人のことは言えませんが,最近のツイッターって言葉が先鋭化していて
    そこにウイットも何も無い殺伐としたものを感じます。
    2020年12月14日 07:07
  • つる

    何に対しても誰に対しても僻み目線で観るのが当たり前になってしまうと、成長が止まります。
    気を付けよう。
    2020年12月14日 07:12
  • 三日ボーズ

    ひるのいこいさん・・・
    これって、いわゆるひとつのレクサスなんすか?
    同じく豊田には全く興味が無いので、ワカンナイでですが・・
    我々の世界というのは、カッコウの批判対象になるので、シャ〜ナイとは思いますが。
    この写真だって、一歩間違うとヤ○ザさんたちと同じ。
    ・・・っていうか、あちらがウチらの組織(徳川が作った本山〜末寺の制度等々)を真似したんでしょうけど、ね。
    Facebookという仲好し小好しの記事から写真だけを撮りだして、オレなら車種も分かっちゃうんだもんね、という自慢も含めて、勝手なコメントを書くという、悪意しか感じない記事・・・
    まったく、下らん世界です。
    総本山の能化様が、我々の世界でどんだけ偉いか、多くの信者さんが支える大本山の貫首様も同様。
    文化も何もワカラン狭い見識しか無いくせに、それを自分のチンケな土俵に降ろすことしかできない愚か者が、Twitterにははびこっておるようで・・・
    2020年12月14日 08:48
  • 三日ボーズ

    つるさん・・・
    Twitterというのは、何の根拠も無く「自分が偉い」という錯覚を持たせてくれるもので、そう思ったら、そいつの成長が止まります。
    それに気がつかない、つまり、そんなことやってる進歩が無くなるよ、ということに気がつかない人をドンドン増やしているし、お互いを監視したり、ちょっとしたことをあげつらってみたり、公開処刑みたいにしたり、住みにくい社会を作ってるようにも思いますね〜
    2020年12月14日 09:04

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