自分が死ぬ夢と、ほぼ日手帳と、
ナイフを腹に刺して自分で死のうとしている人を見ていたはずが、どういうわけか、自分がその人になっていた。
それがさらに転じて、自分が刺されて死ぬ人になっていた。
自分はもう死ぬ、救急車は間に合わないかも知れないけど、呼ぶ?
痛くはないのだけれど・・・
でも、もうダメだ、死ぬ・・わ。・・・と思えた。
あ、オレはここで終わりなんだ・・・と、とても落ち着いていた。
あっさりと「終わり」を認めていた。
女房には「ごめんね迷惑かけて・・・ありがとう・・・」と言い、
どうも子供たちもいるようだったので「楽しかったよ」と言う。
でも「研究が途中で、それが心残りだけど、シャ〜ナイわな・・」と言う。
なんだか、簡単に諦めていた。
前も、研究を始めた時に、死んだ夢を見た。
その時は「どうする、どうする?」と慌てていたけれど・・・
今回は、出来なければシャ〜ナイ、とあっさり諦めているところが違ってる。
その翌日、「ほぼ日手帳」が来た。
ある方のブログで、もう来年のカレンダーを配ってるヤツがいる、という記事があって・・・
「そういえば、ほぼ日はそうなってるんかな?」と思って見たら、9月1日発売開始だった。
早い、早いよ、スレンダーさん!
来年のカレンダーの発売って、10月も下旬だったような記憶があるけれど・・・
まだ、今年も1/3あるじゃんか〜〜?!・・・でありますよ。
カレンダーどころか、今年は、自分の予定表も全く見ていない。
3月以降の「予定」は、み〜んな、吹っ飛んだから、もはや、予定表は要らなくなった。
このまま、冬にも新型武漢肺炎ウィルスが蔓延していたら、来年だってどうなるやら・・・でありますよ。
「ほぼ日手帳」は「カズン」というA5サイズの大きいのを使って「結果」を書いている。
一日振り返って夜に書く。一日の記録。
この「振り返る」という行為も大切だろう・・・ボケ防止には・・・と思えるお年頃なわけですわな〜。
時々何年か前のを見ると、その時の行動や、注意点が書いてあるし、その時のことを思い出す。
これが大事なんだと、思う、お年頃。
そういう意味でも、こういうのは良い物だと思う。
用事があるときには、寺の用事との兼ね合いもあるし、私がいない時に、葬儀・法事の予定が入った場合を考えて、主立った私の用事は、寺のカレンダーに書くので、自分用のダイアリーは要らないかも知れない。
来年の手帳が手に入っても、予定を書き込む気にはなれないななぁ〜〜
予定は、未定で、決定ではないからねぇ〜〜
この調子だと、来年も、ワカラン!!
(今から思えば)晩年の小沢昭一さんに仏教会から講演依頼をしたら、あまり先の予定は取らないようにしている、という返事がきたそうな。
たしか、前立腺がんだったか?・・・「先」のことに、責任を持てない、ということだったのだろう。
その講演会の準備をしながら、昔のレコードを持っていってサインをいただきたいな、と思っていたら・・・
その一週間ほど前に私が交通事故に遭って入院してしまったんだった。
「先」は、ワカラナイ・・・・
この記事へのコメント
007
確か一発が腹に命中して、、、シンプルに、”死ぬのだな!”と、。
まあ夢でしたが、目覚めると震えました・・・自費写真集NO,1発売が新聞報道されて、それを見た右翼の頭からガリ版刷りの書が送り付けられて、電話まで掛って来た時期、、、
警察に相談しても「そんな右翼団体は知らない、、、」と相手にされず、、、
仕方ないので知人にその筋系に聴いてもらい・・・「武闘派じゃなく知性派だから大人しく対応し絶対に係わらない事」とアドバイスに従い難逃れした経緯があります、。
先に何が有るか分からないし、その時に適切に判断するしかないですね。。。
三日ボーズ
さてさて、夢が心理的なものの反映になるのかどうか?
心理学は嫌いなので、どーでも良いですが、まあ、なにか考え方の指針になることもあるようで・・・
007
一応の金はある!と思ったのでしょうね?
この経験は自営独立後の商取引に大変参考になりました、、、
・・・つまりは集金出来ないと思われる素性の依頼主の仕事」は断る!!(;^_^A
三日ボーズ
007
盛んに事務所へ顔出しを勧誘されましたが、もちろん行きませんでした。。。
三日ボーズ