お盆・考(その4)
棚経である役員さんの家にお邪魔したら、古い葬儀の写真があった。
昭和の初めの頃で、役員さんの曾祖父の葬儀かな?というもの。
ボーサンが写ってるが、私の祖父か?
その端に、竹駕籠にお金を入れてばら撒く装置 (^_^) が写っていた。
昔、小学校の頃「あした○○で葬式があるぞ〜」って〜と・・・「それっ」って感じで行って、出棺の時にばら撒かれるお金を拾いに行ったものだ。
その日のうちに使わなくちゃダメなんだぞ、と言われて、そのまま駄菓子屋に行たもんですね〜(^_^)・・・と話していたら、その役員さんが・・・
「お盆って言うとお墓に行って、上がったもの取って食べたもんだよ」と言う。
いやいや、それはやらなかったけど・・・
それが、まさに「餓鬼」じゃんか〜 (^o^)
育ち盛りで、いつも「腹減った〜」の子供を「ガキ」と言ったのは言い得て妙。
『餓鬼草紙』という巻物には、まさに、死者への供物を食べる餓鬼が描かれている。
餓鬼は喉が細くて、大きな物は食べられない、息が炎になって食べ物を燃やすから、要するに「食べられない」という存在なのに、供物を漁るというのはおかしいのだけれど・・・ね。
不空訳と言われ、弘法大師様が請来した『仏説救抜焔口陀羅尼経』には・・・
阿難尊者がお釈迦様から受けた教えを一人瞑想していたところ、目の前に餓鬼が現れて「お前は、三日後に死んで餓鬼になるだろう」と言われた。
どのような方法によればその苦から逃れられるか?と餓鬼に聞いたら・・・
「明日、数限りない餓鬼や、多くのバラモンや仙人に、マガダ国の枡でそれぞれに一石の飲食を与え、私のために三宝に供養するならば、お前は寿命を延ばし、私もこの餓鬼の世界の苦しみを離れて天上界に生まれることができるだろう」と言われる。
その方法をお釈迦様に尋ねると・・・
「心配するな。『無量威徳自在光明殊勝妙力』という陀羅尼がある。これを用いれば数限りない餓鬼たちに十分な飲食を足りるようにできるだろう」というようなことを仰って、その方法を詳しく述べられた。
それが、私らが法要で勤めている「施餓鬼法」の元になっている。
すべての聴衆と阿難尊者は、お釈迦様が説くのを聞き終えると、心から信奉して、歓喜して実践した。
・・・ということが書かれている。
これは、阿難さんが餓鬼道に墜ちないように生前に勤めたものであり、預善というもので、これは追善では無い。
しかし、餓鬼の供養という観点から見れば、阿難さんにとっては誰だったか知らない餓鬼を供養するということにもなり、それは追善でもあり、また、万霊供養という概念に結びつけられないことはない。
ここに「追善」と「恵まれない霊への供養」ということが、何とか導き出される。
現在我々が用いている「施餓鬼法」について、我が宗の第22代能化様である動潮さんが「滅罪、息災、追善、延寿、不食等にこれを修す」と書かれている。
江戸中期にはこのようになっていた。
施餓鬼が法会として大々的に営まれるようになったのは江戸時代になってから、と思われる。
それまでは、寺院における行事としてだけ勤められていたものが、寺請制度と共に、深まった寺檀関係のなかで営まれたのではないか、と思う。
おそらくは、寺の収入源になっていたのではないだろうか?
そういう目的で営まれるようになった、という面もあるように思える。
お盆と合わさった施餓鬼も、江戸時代になったから盛んになったのだろう。
お盆も施餓鬼も「餓鬼」が共通のキーワードだけれど、実は、このどちらにも「ご先祖様」「故人の里帰り」は出てこない。
これが、この項の最初に戻って、棚経中に感じた違和感だった。
民俗学的な対象となる、民間信仰的なものとして、日本人には「ご先祖様」が大切なものである。
この思いと仏教は馴染まないものである。
例えば、仏教には輪廻が説かれる。
研究者も「仏教には」輪廻があると言う。
しかし・・・輪廻があったらご先祖様はいなくなる。
だから、日本においては、輪廻は否定されなければならない。
仏教を学問的に捉える人にとっては輪廻はあると言い、それが「正しい」と思い込んでいるが・・・
この「輪廻があったらご先祖様はいなくなる」という単純明快な理屈を考えない人が多すぎる。
仏典にあるから「仏教として正しい」のではない。
日本においては何よりも「ご先祖様」が優先される。
ご先祖様があって、仏教ばある。
葬儀もそう。
「葬式仏教」を揶揄する言葉だと思ってる人も多いが、そうではない。
日本人にとっては、何よりも葬儀が大切なのだ、ということ。
これも、仏教にはない、お釈迦様は自分の葬儀はするなと仰ったとかいって、仏教は葬儀を否定しているから、今の仏教はイカン。葬式なんかしなくていい。・・・というようなことを「自称・宗教学者」が言ったりしてる。
そういう単純な問題ではない。
日本人に合うように仏教は変わる。
このことを我々はもっときちんと考える必要があると思うのだ。
お盆にも、お施餓鬼も、仏教の理屈がくっついているが、実は、全然融合はしておらず、現在もなお、齟齬がある。
いや、現在、よりその食い違いが進んでいるといえる。
たとえば、利他の写真のようなものがある。
(ネットで拾ったのだけれど、元が分からなくなってしまったので、無断で載せます)
ある地方の盆棚に作られている「梯子」。
これを「ご先祖様が登ってくる」というらしいが、これは、元々は餓鬼が登る物だと思う。
「マコモ」も下まで垂らすのは、餓鬼が梯子代わりにして登る物だ、というのが元々だったんだと思う。
そして「水の子」を食べる。
水の子もご先祖様の供物、あるいは、お盆に付きものの供物、という認識になってしまっていると思う。
喉が細いから小さく切ってあげて、燃えないように水をかけるというものだから、これは餓鬼への供物だ。
素麺などもそうだろう。細い喉を通りやすいものだから。
ウチの周辺ではお盆の棚は縁側に近い所に作った。
それも、施餓鬼が含まれるからだろう。
そういう随所に見られた「施餓鬼」が形の上でも、意識の上でも、消えてしまっていると言って良い。
盆棚も、奥の部屋に作られたりするのがほとんどになってきて、施餓鬼の概念は消えている。
そういう所でお経を読んでる。
そのお経は施餓鬼である。
「汝等鬼神衆 我今施汝供 此食遍十方 一切鬼神供」・・・である。
・・・続く・・・
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