京都で連日の聲明聴聞。
春に母が転んで骨折となってから、身動きが取れない状態になっておったですが、私にとって興味深いイベントが続くので、思い切って出かけることに。
今回は、浄土宗の法要で「舎利講式」。
法然上人の作と言われるも、定かではない。
ウチにも、興教大師・作という講式があるのだけれど、怪しい。
昔はそういうことが良く行なわれていた。
弘法大師様の「御遺告(ごゆいこう)」だって、遺言ということだけれど、これは「後の作」ということが定説となっている。
私が読んでもあり得ない記述があるのだけれど、誰かが何かの為に作った訳だ。
そんな畏れ多い、と思わなかったのか疑問だけれど、そういうことが行なわれていた。
いや、そんなことはどうでも良い。
「舎利講式」というと、解脱上人・貞慶さんのが、そもそも「講式」の始まりと言われている。
それを真似て、明恵上人の「舎利講式」があり、さらにそれを膨らませた「四座講式」がある。
この浄土宗の「舎利講式」は、そにお書物はあっても、長く絶えていたものだという。
それを今回復活させた。
これは大いに意義在ること。
復活と簡単に言っても、容易ではなく、何せ相手が「声」なので、本当の「歌いかた」は分かりません。
「博士」という音符はあるけれども、その声の出し方は「口伝」によるところが大きい。
それは分からない。
故に、復刻といっても、想像と、応用に依るところが大きい。
今回も、他にある旋律を応用しているよう。
夕方、5時からの開式。
「夜儀」の名の通り、本堂の外陣を暗くして、内陣のみに明かりを当て、良い雰囲気を醸している。
こういう雰囲気も良いものだと思う。
少数ながら、熱心な聴聞客。
前日の「独演会」もそうだったが、少数のお客様でも、熱心な方がいらっしゃれば、良い法会となる。
実は、このご住職も「魚山聲明塾」の方。
前の記事の浄土真宗の方と同様、声明の源たる「(天台宗)魚山声明」を学ばれていらゃっしゃる。
こういう法会があると遠くから馳せ参じるカワリモノを温かく迎えてくださる。
同じ、声明の道を歩む者同志、ということでありますな。
こういう法要が絶えてしまうというのは残念。
しかし、記録にはあり、確かに勤められていた。
では、なぜ、絶えたのか?
ウチの宗派でも、江戸時代までは、法要にものすごく時間をかけていたよう。
だいたい普通でも2時間コース。
それが、今は、殆どが1時間コースになってる。
聞いたところによると、明治政府が、宗派は合併してひとつになれ。
法要も簡略化しろ、という命令があったのだそうだ。
それで、法要の前に唱えていた「前讃」は「四智梵語」、「後讃」は「不動讃」のひとつづつになったんだとか。
それまでは、どこの宗派も法要は長かったんだと思う。
「講式」という声明曲も、高野山には沢山の講式が残っているから、何かにつけ作られたんだと思う。
教義を説明するのに適していたんだろう。
この「語り物」が、宗派を問わず流行ったのだろうと想像する。
だから、浄土宗でも唱えていた。
流行っていたものを、自分のコトロでもやる、やらなければ、乗り遅れる、というような感じもあったかも知れない。
例えば、何かの法会に際して、法要の前に、講式を読んでいたかもしれない。
それは、芸能的なものでもあったのではないだろうか?
それが無くなったのは、宗派の雰囲気として、教義である「念仏」に主軸を置くような展開になっていって、直接は関係ないこういった講式などを、用いなくなっていったのではないだろうか?
浄土宗の知人に聞いたら「私は、声明はやりません」という言い方をしていた。
声明は特別に志を持って習うものと、感じられた。
普段用いるお経は大体決まっていて、それで事足りる。
歌曲的な声明を用いるのは特別の法要であって、末寺ではそれはやらない。
・・・というようなことだろうか?と思う。
それは、覚えなくても僧侶としてやってゆけるなら、わざわざ習い覚える必要もない、と思うのは自然なことだ。
私も、未だ知らないお経が、ある。
声明曲として習っていないお経がある。
なんとか覚えたいと思っても、覚えたところで使わないから、なかなか行動に移せない。
そう言えば、智山派でも、天台がやってる「法華八講」をやっていたらしい。
それは、完全に絶えている。
前にも書いたが、江戸時代には「理趣経」の全部に節が付いていた。
高野山では、8月に不断経として、読んでいるらしいが、どうも、ソレとは節が異なるようだ。
来年は、これを読んでみたい。
ちょっと刺激を受けて、私もチャレンジしてみようか、と思っている。
この記事へのコメント
タロウカジャ
三日ボーズ
そんなにガチガチの会ではない、というのもありますが。
まあ、雰囲気を壊さないように気を遣いつつ・・
こういうのがあるので、サイレントシャッターがあるミラーレスと、高感度に強いカメラが必要なのです。