12月6日。
京都の「P-act」という、とっても小さな芝居小屋かライブハウスか?というところで「梵唄聲明」という「独演会」があった。
独演会の主は、浄土真宗本願寺派の方。(お西)
実は、声明の研究を始めた頃、この方のブログを見ていた。
それが、後にFacebookで知り合うことになろうとは・・・という関係でございます。
バカに出来ないゾSNS。
西本願寺の声明は天台宗に由来する。
元々、親鸞聖人は比叡山で坊さんになって、後に山を下りられた方。
その師である法然上人も同じく比叡山の僧侶だった。
なので、お二人とも天台声明を唱えていたであろう、と思われる。
専修念仏と言っても、法要としてお経を読み、節が付いた声明も唱えていたのだろうと思われる。
さて、それがどういうものだったのか・・・分からない。
「法要」という形式はあったのだろう。
最澄さんの時点でどうだったのかわからないが、天台は三代・円仁さんの時に、声明がかなり輸入された。
かたや真言はというと、これが、もっと分からない。
宮中での法要というのも記録にあるので、お経を読む「法楽」という概念はあったろうし、形式的な法要もあったのだろうと思える。
例えば、弘法大師さんは伝説の多い方であるわけですが、まあ、温泉を見つけたとか、いろんな伝説はあるものの「声」に関する伝説が無い。
例えば、御大師様がお経を読まれたら、5km先の小鳥たちが合唱したとか、5km先まで聞こえたとか。そういう伝説があってもよいと思うのだけれど、無い。
例えば、真言は時の天皇や貴族から何を求められていたかといえば、その祈祷だと思える。
その法力が求められていたということは、護摩をやっていたのだろう。
そのとき、職衆(式衆)が周りでお経を唱える「法楽」という概念がそもそもあったのか?・・・が、分からない。
分からない、のだ。
親鸞聖人は、法然上人のお弟子さん、として亡くなっているはずだ。
だから、浄土宗の法然上人の俗人の弟子、というのが正しいところではないだろうか?
妻帯したという時点で、親鸞聖人は俗人となった。
・・・そういうことなんだと思う。
浄土宗親鸞門徒、というべきなんだろうと、私は思ってる。
親鸞聖人は、さて、声明を唱えていたのだろうか?
五木寛之さんの『親鸞』では、声の良い坊さんが出てきて、その声で信者を魅了する、というシーンがあり、親鸞聖人も声がよく魅力的であったとしている。
親鸞聖人が作られてた「和讃」が浄土真宗では大切にされている。
上人も沢山の「和讃」を作られている。
今でも、浄土真宗の法要では、一般の人も混じって和讃が唱えられる。
和讃を沢山作られたということは、読んでもいたわけで、当然、そういうことが得意だった、ということは想像に難くない。
いつ頃、日本語の「和讃」というものができたのか?
これもよくわからない。
日本語で法を説いたわかりやすい七・五調、八・五調のリズミカルな言葉に、自然に節が付いて「歌」になり、なじみやすいもにおになった、ということか?。
我々が唱えるご詠歌・和讃というものは、この流れにあると言っても良いだろう。
これも、あっという間に流行ったのだろうと思われる。
浄土真宗は、2つに分かれた時に「西」は、天台の魚山(ぎょさん・大原)に声明を求めた。
私が聞いたのは、声明の先生がみんな「東」にあったため、ということ。
その時点で、その時の「大原流」声明を採り入れ、それが独自に変化したものが、今の西本願寺の声明ということにある。
今回の「独演会」の人は、自分が習う声明の源流をたどる、という道を歩んだ。
こういう人も、おそらく、宗派の中では珍しいのだと思う。
大原の「魚山聲明塾」にはそういった坊さんたちが、宗派の垣根を越えて集まって、魚山流の声明を勉強しているのだ。
宗派というのは、どこも閉鎖的になりがちで、中でも、浄土真宗(真宗)、日蓮宗はその傾向が強い、という印象がある。
自分のトコだけの「やるべきこと」をやればいいのであって、他所のものを勉強しても、何のメリットも無い。
それどころか、害があるかも知れない。
自宗のことに疑問を持ってしまうとか・・
ウチの関係だって、同じ真言の、他の宗派のことは分からないことがおおく、分かろうとする人も少ない。
声明に関しても、同じ真言でも他宗のは分からない。
聞いてみようとする人も極めて少ない。
智山講伝所のある人は、声明の研究をしているが、他宗の声明を(研究目的で)良く聴くということはない、と公言している。
それでは、声明の研究は出来ませんよ、と言いたくて、同じ会で私も発表しているわけだけど・・・
私のような、真言以外の声明にも・・・という者は本派では私一人かも知れない。
それくらいの存在なのであります。
今回の「独演会」では、浄土真宗に伝わって唱えられているものの、元の天台・大原の唱え方とは違っているものを、大原の唱え方で唱えられたという。
残念ながら、その違いは、私には分からない。
そういうコトは、おそらく、宗派の中では意味の無いことであり、評価されないどころか、疎まれることかも知れない。
しかし、声明を学ぶ中で、そういう気持ちが起こってくることを止められなかった、ということであろうと思う。
小さな劇場のような空間が心地よく「私もやりたい」と言い残してきたので、来年は、この方との「二人会」が実現するかもしれない・・・と、日記には書いておこう。
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