一足早い涅槃会(遺教会)
ウチの宗派の栃木県青年会会員有志が集まって、成願寺にて、「遺教経」を読む「遺経会」が行なわれました。
ウチの宗派では、2月14日に読むことになっているのものを、青年会では、適当な日を選んで行なっております。
ワタシは行ってなかった(会社勤めで休めなかった)ですが、ワタシの頃にもやっていたよう。
行けなかったけれど、案内が来ていた記憶。
「遺教経」は、これまでも、自分なりに訳してみたりしているくらい好きなお経。
「四座講式」も、明恵上人の人柄と、その思いが感じられるものですが、「遺教経」は、その明恵上人も常に持ち歩いていたと聞きます。
作られた年代も不明だけれど、お釈迦様の時代に一番近い感じがする。
仏教に余計なモノが入っていない感じがして、よく理解できるし、だけれども、実践はできない、ということも分かる。
声明曲としても、その由来・伝来等々、謎のお経でもあります。
また、智山派の阿闍梨さんによっても違った読み方をされるし、音階はハッキリしていないし、今回も、明らかに、二種の読み方、節が感じられた。ズレる所があるのだ。
習った阿闍梨さんによって違っているということ。
これも、きっちり調べてみたいし、我が方の阿闍梨さんのCDも、実はどれも違っていて、正解が無い、という状況でもあるので、それを作ってみたい、という思いもある。
こういうことは、講伝所の阿闍梨さんにはできないことなので、私らがやらないとできない。
あるんだか無いんだかワカンナイ「講伝所の正当な伝」というものを守らなければならないので、阿闍梨さんたちにはできない、ということです。
近々、豊山派のを聴けると思うので、その時に考えるため、今日、我が方のを聴いてお温習い。
この記事へのコメント
通りすがり坊主
三日ボーズ
まあ、内容は、この通りにしたら、今の日本仏教は全滅ですけど、ね。(^^;)
志としては、いつも持っていたいものです。
これに、我々は独自の節を付けて読むのです。