有り難いことですが、副住職に3件の法事を任せて、旅立つことができました。
旅立つと言っても、いつもの「日帰り」でございます。
「はくたか」であります。
向かうは「上越」なので、上越新幹線と思いきや、切符を買うときから迷います。
北陸新幹線だったのですね~「上越妙高」は。
路線作成も、命名も、色んな人たちの「都合」があったのか、な・・・という感じがします。
これは浅間山でいいでつか? ・・・すっかり雪化粧。
これから向かう新潟はもっと・・・でしょうな~、という感じ。
我が次女が住む長野。雪模様。寒そ・・・
「え? 新潟に行くのに、長野経由?」・・・と、アナウンスを聞いて「?・・・」なワタシと、その地理的認識。
スマホで検索。・・・そうやって通るの・・・です。
トンネルを出ると・・・こんな感じ。
そうそう、Suicaが使えない、えちごトキめき鉄道なのでありました。
やっぱ上過ぎ・・・いや、上杉謙信。・・・・・・と、クリスマスツリー。
どこへ行ってもクリスマス~。
そして本題。声明公演「螺旋曼陀羅海会(らせん まんだら かい え)」
あ、僧いえば、この「聲」の字が違うのが気になる・・・・(-_-)
略字?・・・だったとしても、こういうのは相応しくね~べ。
これまで「コラボ」には否定的だったワタシですが、今回のは、洋楽とかの安易なコラボとは違います。
強いて言えば「現代音楽家が、声明を研究して採り入れた」とでも言えば良いでしょうか?
作曲の「桑原ゆう」さんには、何度かお目にかかっておりました。
それも、法会の場で。
豊山派の「迦陵頻伽(かりょうびんが)声明研究会」主催の法会で何度か。
それに、遊行寺の「一ツ火」でもお目にかかっております。
音楽家の耳で、良く声明を研究された上で、ご自身の音楽に採り入れられたのでありましょう。
さてそれはどんなものか? ・・・と気になっておりましたが、初演は行けず、今回となりました。
パンフレットも見ずに、予備知識無しで聴こうと思っておりました。
ボーサンは、豊山派の「迦陵頻伽声明研究会」と、天台宗の「七聲(しちせい)会」。
真言宗豊山方声明と、天台声明との、コラボと言えるかも知れないですな。
この公演は、唄(ばい)から始まり、豊山派の新井弘順先生が「風の歌」という文を、なんと「講式節」で唱えられる。
いや、これが、良い!
現代語なのに、節に違和感が無い。これは新井先生の節付け?
これだけでも、遙々来たカイがあったというものです。
二箇法要の形で進みます。
唄・散華・対揚(たいよう)を、シャッフルして組み直した、という感じで展開し、天台声明と、真言豊山の声明も入り組んでいるけれど、不思議に違和感は無い。
面白いやり方だと思う。
そこに、真言ではない「真言(マントラ)風」という言葉による「曲」が入る。
客席の通路をも含めて「行道」しながら唱える・・・これが「螺旋」?
初演の劇場が「スパイラルホール」なので、そこからきてるのかも知れませんが、この演出こそが「螺旋曼陀羅」ということなのでしょう。
パンフレットには・・・
「螺旋曼陀羅海会」は、作曲家桑原ゆうがアメリカ・インディアンの創世神話をテクストに作曲した「風の歌」と「夜の歌」を、古典の二箇法要の挿入歌として構成した新作聲明作品です。
・・・とあります。
後半は、太鼓が入って、ますますどこかの民俗音楽になります。
木遣りの節のようなものもあり、太鼓が入ったところは、なんか、南海の土人・・・と乱暴に言ってたころのテキトーなイメージのような・・・南国の部族の音楽、的・・・な?
・・・そう・・・「モスラ~ッヤ、モスラァ~ ドンガカサ~クヤ~インド~ム~~」の民族の音楽のような・・・
確かに、言われてみればインディアンの音楽のような・・・そんな雰囲気。
これは、立派なコーラスで、なんか、ボーサンが、桑原ゆうという小娘に(^_-)、良いように扱われてる感じ?・・・かな、っと。
手のひらの上でコロコロ・・・・(^^)
ただし、これは、ボーサンがやるには、かなり音楽がワカランと、というか、ちゃんと音を出さないと(出せないと)イケマセン。
これは難しかったでしょう。
譜面は、五線譜じゃないとダメのようにも思えます。
普段の法要では、これほど音高をキチンと出す、という概念はないはずなので、おそらく、こんなに緊張して声を出す、ということも無いでしょうから、大変だったことと思います。
この辺の構成が、桑原さんの真骨頂なのでしょう。
ここは、ボーサンがやってるけれど、声明ではない。コーラスですね。
この繰り返しのなかで、間に「頭(とう)」が入る。
そこには、声明の特徴的な節回しが入っている。
ここは、ボーサン。ここは声明で、これは、コーラスの人にはなかなか出せない声だと思います。
コラボと言えば、ここがコラボ、という感じでしょうかね?
新しいようで古い。古いようで新しい。そして、どこか異国の香りがして、しかし懐かしい感じもする。
音楽家が、何度も法会に足を運び、声明を研究し、理解し、自分の音楽に取り込んで、ひとつの作品に仕上げた。
・・・その「確かさ」が感じられました。
現代の作曲家が感じた「声明」。
そこから吸い取ったエッセンスを、色んな調味料、食材と共に調理してできたもの、という感じがします。
声明という、音楽と言えば音楽家もしれないけれど、何だか古くさいワカンナイものを、現代音楽家が聴いて、自分の音楽に取り入れる。
その音楽家の受け取り方のセンスもあるし、作曲のセンスもある。
そもそもプロデュースする人の力と理解力もある。
そういったものが絡み合って(おお、これもスパイラル~)ひとつの流れになる。作品になる。
この桑原さんのセンスは・・・成功だったと思う。(なんだ、偉そうに・・・(^_^;) )
そにしても驚いたのは、客席がガラガラだったということ。
東京ならイッパイのはず。
上越市では、厳しかったでしょうか?
良い公演だったので、もったいない。
お経なんて、俺たちが高っかいお布施払って聞かされるモンだろ~?!・・・という感じがあったりしますや否や。
端から面白いモンだとは思われてない、ということもあったかも知れません。
でも、お陰で、ホール内に音が良く響いた、ということもありましたが、ね~。
ワタシとしては、新井先生の講式節を聴くことができたのが、一番。
1時間くらい前に着いたら、ホールのロビーに隣接の休憩室のようなところでご歓談ちう。
「あ、今日はお客さんなのかな?」・・・と思っていましたが、堂々のお唱えでございました。
いつもの「コラボ」を聴いた後の苛立ちもなく、なんだか、ス~~~っと入ってきた感じのする公演でした。
CD化、キボンヌ。
満足満足、と思いつつ、コーヒーとスイーツセットで520円を注文。
弘法大師の般若心経解釈について再確認、のつもりが、半分も読めなかった。
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聲明 ~音の饗宴~( in 横浜)
Excerpt: 家を出る前に詳細を確認と思って「聲明 ~音の饗宴~」で検索したら、コレが出てきた。
Weblog: 倫敦巴里
Tracked: 2019-01-26 23:32
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