天台声明を・・・・習う?

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世間がクリスマス・イルミに飾られている今月今日、大手町の読売新聞で開催された「読売カルチャースクール天台声明に触れ、発声してみる」という会へ。

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我が方では、声明・悉曇(梵字)は、得度をしてから、という認識でおりますが、天台では、こうして一般ピープルに「教える」ということをやっていいのか?

・・・と、講師に、聞いたら、「構わない」んだそう~な。へ~~~~、ホントかな~?

ワタシとしては・・・
とにかく読みにくい天台声明の博士(はかせ・譜面のこと)の見方でも分かればと思って行ったのですが・・・
まあ、ちょっとは分かった・・・ような・・・

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ああ、コレ作った人か・・・

しかし、このセンセ、誰を相手に話しているのかがまったく分かってないようで、困った困った。

自分勝手で、相手のことがワカラン、というのは、我々にはあってはイケナイことだと思うのだけれど・・・
相手が自分の言うことを理解できているか?というようなことは、我々でなくても、社会生活には必要なこと。
しかも、この人はボーズだし、先生でもあるのだから、人一倍そういうことを分かっていなければならない立場のはず。

それなのに、嗚呼、それなのに、それなのに・・・・(T_T)

専門の学生だって入門したてぢゃワカンナイような話ばかり。
・・・で、全然唱え方にならない。

会場のオジサン・オバサンが、「・・・・・??????・・・・・」なのを感じる。
でも、講師だけ感じない。

それでも構わずの独走・・・というか、暴走・・・が続く。
当人が、自分の愚かさに気がつかないんだから、仕方が無い。

天台声明の歴史を語るんだって、何もワカンナイし、今後、ソレを研究すワケでもないと言う人に、それ言って分かる???・・・ということばかり。

自分の学校で言ってることと区別ができない人らしい。困った、困った。

ワタシが聞いて、確認できたことは多々あって、その点では良かったけれど、ワタシだったらそんなことは話さないよ・・・ということばかり。

我々は、難しいことを、知らない人に向かって、如何に分かって貰えるか?・・・ということを努力する必要があると思っているわけです。

当然、相手の理解度、ということが重要なポイントになってくるわけです。

だから、まったくワカラン人には、どういうことを、どういう風に話したらいいか?・・・と常に考えているわけです。
まず「どういうことを、どういう視点で切り取って、話したらいいか?」・・・話す前に考える必要があろう。
それが、まったくできていない。する気が無い。
「自分は、できる」という闇雲の自信があって、得意になってる人ってのは、一番困る。

だから、今回の講師のような輩は、まったく理解できませぬ。

以上!!

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読売カルチャースクールが声明を企画すると、読売旅行センターが、声明を聞く旅行を企画する、という、まんべんなき連係プレー。
隙が無い、というか、抜け目ない、というか・・・(^^)

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