お声明の鑑賞ざぁ~ますのォ~

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・・・と、こんな感じの、気合いが入り過ぎて空回りしてるというか、歌舞伎鑑賞と間違えてるんじぇね?・・というような女性がいたりします。

いやいや、そういうものじゃね~ですから。
歌舞伎だって、ちゃんと見るなら歌舞伎座。
ここは、博物館みたいな所よん。

こういう格好で行くというお気持ちは有り難いですが、普通でいいと思うですよ。

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ここで浄土真宗の声明を提示するのは今回が初めてなんとか。
「芸人と同じ舞台でできるか」と言ってた東大寺より遅いとはこれ如何に?
こういうの好きそうだけど・・。

今回取り上げる法要は「報恩講式」。
ワタシも、真宗・高田派のは初めてであります。

まず「奏楽」・・・つまり雅楽が入る。

四奉請(しぶじょう)・散華(さんげ)。
演出は、どうしても客席からボーサンを入れたいらしい。
「散華」は、道場に撒くから意味があるのだけれど、何も分かっちゃいないのよね。
「道場」を「行道」して「散華」する。
客に撒くモンじゃ無い。

ま、道場でも何でも無いから、いいのか・・・。
法要でもないし、ね。
ここでは、単なる芸能と同じものだし。

ハチ4名、繞(ニョウ)1名、経頭とリン兼務1名が出て、客席向いて、これでもか!とハチを回す・・・回すゥ~?!
日蓮宗と同じやんか。
コッチに飛んでこないかはらはらモンですよ。
一番前の席だったから・・・。

再び雅楽が入って、トートツに「引声念佛(いんじょうねんぶつ)」が重なる。
音楽とは無関係に唱えている感じだ。

しかし洋楽のコード進行とメロディというものが無いのであろう雅楽は、かなり乱暴に重ねても、「合ってない」と感じることが少ない。
声明も、メロディ&コードが無いから、か。

「三礼」の端折り方とか、面白い。
ハチの突き方は宗派で見事に違うので、これも面白いけれど、おそらく「三礼」の省略だろうな、と思える動きなど、そういう変化が面白い。

式文は、天台の「六道講式」のニュアンスが感じられる。
・・・が、かなり「なめらか」になってる感じがするのと、所々独特の音階で新たな味付けがされている。

なんだか、これを聞いていると、後の「節談説法」は、このまま、読む形から、語る形に変わっていった、という感じがする。

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伽陀(かだ)だったか、ちょっと音がバラついたけれど、頭の人の音が微分音的にブレて音が取りにくかったのか知れないが、そもそも、あの、ステージイッパイに「ハの字」に座らされると、反対側の声が聞こえないのだ。
本堂とかだと、天地に反響するので聞こえるんだと思うけれど、国立劇場の音響はヒドイので、余計に聞こえないから、音を合わせにくいのだ。
そういうところも劇場は考慮するべきだと思う。
あくまで「素人」なんだから、劇場は。
今回は、さすがに、一人が読む「式文」はピンマイクがあったようで、PAされていたよう。
これは良かった。
いつも、全体的にPAは必要と思っているのだけれど、やらないんだよね、国立は。

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これは「要チェック」だわ。
できれば「現場で」聴聞したい。

講式の変化、というものも面白いと思う。

我れらが智山が「舎利講式」だけにしちゃってるのが、残念でならない。
なんとか、復刻したいと思う。生きてるウチに。

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でも、式師もコッチを向いて読む。

・・・違和感はぬぐえない。いつものコトだけど。

これを「浄土真宗の声明」と紹介しちゃうと、「そうじゃね~ぞ」とか「それだけじゃないだろ!」という「派」が出てきそう。

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